Excerpt for Scrambled up Kusanagihara HighSchool vol.2 by Masahiko Kimoto, available in its entirety at Smashwords







Scrambled up Kusanagihara HighSchool vol.2


Masahiko KIMOTO


Published by Masahiko KIMOTO at Smashwords


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草凪原学園スクランブル vol.2

木本雅彦


Table of Contents

「マリンの選択」

「彼と彼女と彼の彼」



マリンの選択


1

 

 一週間に一度だけ、僕は妹に会うことにしている。

 

 家を出て、いくつも坂道を下って浜に出ると、いつもの水上バイク屋のオヤジが待ち構えていた。

「よう、坊主。また来たか」

「坊主って言うのやめてよ。それよりも僕のバイク、どう?」

「ばっちりだ。いつでも出れるぜ。今日は海もおとなしいから、かなり飛ばしても大丈夫なはずだ」

「さんきゅー」

 バイク屋の倉庫の鍵のスリットに自分のカードを通したら、保管されている数十台のバイクの中から僕のバイクが選び出され、倉庫に隣接しているプラットフォームに送り出された。カードと指紋認証でバイクを始動させて、セルフテストを開始させる。オヤジの言ったことに間違いはなく、バイクの全てのパラメータは良好を示していた。

 僕はバイクにまたがってモーターを動かした。心の中で妹に声をかける。

「マリ、行くよ」

 プラットフォームのギアとバイクのギアが噛み合って、金属がきしむ音と一緒に車体が射出された。数秒宙を飛んだ後に着水すると、車体のジェット機構が海水を後ろに送り出す。バイクは水上を滑り出した。

 水飛沫が左右に別れて飛び、あらぬ方向に飛んだいくつかが頬にかかる。僕はゴーグルを首にかけたままであることを思いだして、あわてて引きあげようとしたが、片手だとどうにも上手くいかない。少し迷ったが思い切って両手をハンドルから離してゴーグルを装着した。斜めからの波を受けて車体が揺らいだが、パワーステアリングのハンドルがふらつくことはなく、握り直して姿勢を低くしたら車体は再び安定を取りもどした。僕はアクセルに力を加え、沖を目指す。

 バイク屋がある入江は岬の脇の奥まったところにあり、わずかに沖に出ただけでも急に視界が開くなる。好天の空の下に、雲と水平線とが綺麗に線引きされていて、その境を小さな点になった船が移動している。後ろを振り返ってみたら、入江を囲むように岸壁とその上の町並みが見えていて、やっぱりここは海沿いの街なんだということを再認識した。

 ハンドルの中央の簡易ソナーが反応し、しばらくしたら僕の右隣りの海面が大きく跳ねた。

 灰黒色の身体が海上に現れて、ぷしゅうと息を吐いたかと思うと、空中にジャンプする。

 バンドウイルカだ。

 イルカは何度もジャンプしながら、僕と併走する。遊んでもらっていると思っているのだろう。

 僕は楽しくなって妹に話しかけた。

「マリ、良い天気だよ。本当に良い天気だ。本当は父さんと母さんも連れてこれればいいんだけどね」

 しかしそれが不可能なことは、僕も妹も知っている。だから僕は妹と二人で会うだけで満足しなければならない。

 二十分ほど走ったところで、僕はバイクのモーターを止めた。左右に安定用ウイングを拡げ、海上浮遊状態に移行する。ウイングの両端にはフロートが付いていて、波が止むことのない海上で流線型のバイクの車体が倒れないように支えてくれている。

 僕は昼食を取り出した。いつもと同じビスケットサンドで、僕が海に行くというと母さんは必ずこれを持たせてくれる。具を挟んでいるビスケットは漁師用に作られた特別製で、海水から作った有機塩を使っているのだそうだ。だから少しくらい海の湿気を受けてもそれなりに美味しく食べられるし、味に変化をつけたければいっそ海水に浸してもいい。具は磯や近所の畑で取れたものばかりだ。適当に細かく刻んで混ぜてあるだけなのだが、何故かこれが美味しい。近所のおばさんたちが母さんのところに作り方を聞きにきたことがあったが、本当にただ混ぜているだけなんだと答えたら、不思議そうな顔をして帰っていった。

 僕はビスケットサンドを適当にちぎって妹に分けながら、包んでもらった四枚をたいらげていった。

「美味しいね、マリ」

 包みの中に残ったクズを掴んで空に放り投げたら、海鳥たちが嬌声をあげながら集まってきた。海面でばたばたと暴れて餌をついばむ様子をひとしきり眺めてから、僕は再度バイクのモーターを入れた。ウイングが閉じるのと同時に若干バランスを崩しかけたが、推力を使って姿勢を戻す。海鳥たちが僕の頭上をついてきた。右隣りに併走するイルカと一緒に、更に沖へとバイクを走らせる。

 やがて海鳥たちが去り、僕はバイクの速度をゆるめて波の動きに合わせるように海面に浮かんだ。燃料電池の残量は三分の二を示していて、戻るには良い頃合いだ。

 イルカが海中から顔を出し、バイクのノーズの先で一回転し、何かを指すように頭をくいくいと動かした。その先を追っていくと、遠くの海上に小さな影がいくつも集まっている。海鳥だ。見たところ二十か三十はいる。海鳥が集まるところには魚がいる。その証拠に、海鳥を目指すように漁船が移動しているのが見える。

「マリ、行ってみようか?」

 僕はアクセルに力を込めた。バイクの行く先をイルカが先導する。もちろんバイクにも各種探知機材は搭載されているが、こういう時はイルカの感覚のほうがよっぽど正確だ。僕は素直に従うことにした。

 海に突入しては魚を加えて戻る海鳥の姿が見える位置まで辿り着いたあたりで、僕は一隻の漁船に接近した。その漁船には漁業組合のマーキングがしてあったが、網や巻き取り機といった漁の道具にはことごとく青いビニールのカバーがかけられていて、すぐにでも漁を始めようとする体勢には見えない。

 漁船の船上に男性が姿を現した。何か叫んでいるが良く聞き取れないので首を振って答えたら、手を耳と口のところに交互に動かす身振りをした。僕はゴーグル内蔵の通信機を調整し、共通チャンネルに同調させた。

「近付くな! 魚が散らばっちまう!」

 いきなり太い怒号が飛び込んできた。

「漁をしているんですか?」

「漁じゃない。魚を集めているんだ。邪魔をするんじゃない!」

「そっちの船だって十分ノイズをまき散らしているじゃないですか」

「あのなあ、立てる波の種類が全然違うだろうが。お前のために言っているんだ。バイクなんかで近付いたら、あいつらは敵だと思うぞ」

 あいつら? と思ったら、海鳥に集まる下で、黒い背中に白い腹の影がぱしゃんと跳ねた。一匹、二匹。次々と姿を見せたのは、マイルカだった。何匹ものマイルカが円を描くようにジャンプして、胴体の側面の黄色い模様がサーカスの出し物のように舞っている。

 そういえば海洋放牧といって、回遊魚を追って集めるのにイルカを使う方法があると聞いたことがある。羊の放牧に牧羊犬を使うのと同じ要領だ。ということは、このマイルカは魚たちを追い立てる役目で、漁船はその監視に来たのだろう。

 僕はバイクを漁船の横に付けた。

「あのイルカは、この近辺を泳いでいるんですか?」

「違う。もっと南のほうの遠いコースを泳いできた集団だ。だから離れろって言っているだろうが」

「これだけ船に近付けば、波とか問題にならないでしょ。南ってどこです?」

「南は南だ。それ以上は知らねえよ。イルカたちに仕込んであるのは、魚の好きなように泳がせて、それでいて散らばらないようにすることと、最後にはこの沖に戻ってくることだけだ。それとイルカを甘く見るんじゃねえ。ちょっと変なことでも、あいつらは敏感に感じとるからな」

 マイルカたちがキュイと鳴き、それに答えるように僕と併走してきたバンドウイルカが鳴いた。その声を聞きつけたのか、丸く泳いでいたイルカたちが僕のほうに向かってきた。

「おい! 離れろ。イルカが漁船に近付いたらスクリューで怪我しちまう」

 僕は重心を傾けて、言われるがままに船との距離を取った。

 イルカの声は続く。キュイキュウキュイ。大丈夫、このパターンは敵意ではない。

 でも逆にやっかいかもしれない。僕のことを遊び相手だと思っていたら、簡単には離してくれないだろうし、もしボールかなんかだと思われているのなら、鼻で突っつき回されるだろう。イルカ同士にキャッチボールされる自分の姿が一時頭に浮かんだが、慌てて追いやった。

 バイクの周囲の水面下を、マイルカたちがぐるぐると取り囲み、それに合わせるようにバンドウイルカも併泳する。刺激しないようにバイクを停止させ、ウイングを開いた。

 しかし、これがまずかったらしい。

 イルカたちにはバイクが急に大きくなったように見えたのか、一斉にバイクに向かってきた。水中から両脇のウイングを突き上げる。バンドウイルカは僕をかばうように、イルカたちの邪魔をしようとしてくれるのだが、相手のほうが数が多いのであまり効果がない。

 僕は必死に姿勢を保ちつつ、再びモーターを動かすべきか迷っていた。しかし全てが裏目に出てしまったようだ。右のウイングのフロートのジョイントが、イルカの体当たりで外れてしまい、続く左のウイングへの頭突きをくらって、バイクが九十度傾いた。

「マリ!」

 海に放り出されながら、僕は妹の名前を叫んだ。

 背中から海に落ちる。ゴーグルのお陰で、視界だけは水中でも奇妙にはっきりしていて、見上げた太陽の光が水面でまだら模様になっていた。

 沈みかけた僕の身体がゆっくりと押し上げられるのを感じ、自分がすっかり泳ぐことを忘れていたことに気が付く。僕は下からの力に支えられて海面に出て、大きく息を吸った。

「マリ! 大丈夫か?」

 僕は呼吸を整えつつ、今はバンドウイルカの身体になってしまった妹に向かって、海から自分を助けてくれたその身体にしがみつきながら尋ねた。

 マリはキュキュと、小さく答え、頭頂部の鼻からばしゅっと息を吐き出した。



2


 着替えをして階下に降り、両親におはようと声をかけた。

 マイルカの集団に囲まれてから、一週間後のことである。

 両親はすでに朝食のコーヒーを半分ほどまで飲み、僕が席につくのを待っていた。壁のテレビモニタが、朝のニュースを流している。

「いただきます」

 僕はシリアルの箱から適当量を皿に入れ、ミルクを注いだ。さらに親戚のオーストラリア土産の蜂蜜を、おまけに一匙入れる。

 ニュースでは、日本領海内で建設中の国際海洋開発基地のスキャンダルを報じていた。先進国の共同出資で建設している開発基地なのだが、レンタル式の核実験施設が極秘に施工されていたという事件だ。内部作業を完全に機械化してあり、何度でも安全に利用できるのが売り文句の一つだとか。既に数回の実験が行われたという噂もあるようだ。

 海洋開発はこの国が、いや地球全体が力を注ぐ領域だった。物心ついた時から海辺の町で暮らしている僕にとっては、「地球を救う一大プロジェクト」とかいう言葉が全然ピンとこないけれど、実際この町にも国の研究施設の分室が設置されていて、何やら難しい研究をしているらしい。

「こりゃあ、おおごとだなあ」

 父さんがニュースを見ながらのんびりとした口調で言った。

「でも、どこの国も関わっていたとは認めないだろうなあ」

 町の役場に勤める父にとっては、国際基地の開発が滞ろうがあまり関係ないことではあるのだが、海洋開発そのものの停滞は歓迎しないようだ。海沿いのこの町は、国からの助成金をそれなりに貰っているような話を、以前聞いたことがある。

 僕は皿を傾けて、残りのシリアルを一気にかきこんだ。ポーチを手にとって席を立つ。

「今日も海に行くの?」

「うん。夕方までには帰るよ」

「気をつけなさいね。先週みたいに海に落っこちるなんてこと、しないでね。たまたま漁船に助けてもらったから良かったようなものの」

「分かってるって。あ、お弁当ありがとね」

「はいはい。それはいいから、とにかく無茶は」

「しないよ」

 僕は部屋を出ようとしかけて踏みとどまり、壁に据え付けられた仏壇に手を合わせた。妹の位牌と写真がおかれている。

「マリ、今日も行くからね」

 僕は家を出た。

 両親は妹のマリがイルカになったことを知らない。もしかしたら知っていて僕には秘密にしているつもりなのかもしれないけれど、そんなことを聞く訳にはいかないから、僕は黙っていることにしている。

 でも間違いなく妹はイルカになった。

 妹が病気で死んだときのことを、今でも覚えている。僕が泣くことすらもできずに病院の裏口で座りこんでいたら、ストレッチャーを二台繋げた上に三メートルくらいの物体が乗せられて運び込まれてきた。僕は急いで建物の影に隠れて、様子をうかがっていたのだが、その物体を検分していた白衣の医師の言葉が忘れられない。

「うん。いい身体だ。頭蓋の大きさも丁度良い。これであの子は生まれ変わるんだ」

 その医師は妹の主治医だった。

 僕はその後、多分走って逃げたのだと思うけれど、視界の端でその灰黒色の身体を確実にとらえていた。そして頭の中で、マリがイルカにされてしまうんだと繰り返して唱えていた。

 だけど不思議なことに、しばらく時間がたった後の僕は、その事実を恐怖も嫌悪もなく、普通に受け入れていた。たとえ姿が変わっても、妹が生きていられるならそれでいいとさえ思っていた。マリは病院の窓から海を眺めて、魚のように泳ぎたいといつも言っていたのだから。

 家を出た僕は、いつものように浜に出て、バイク屋へと向かった。オヤジは店の前にデッキチェアを持ち出して、雑誌を読んでいた。僕が挨拶したら、本を持った手を挙げて応えた。

「今日も行くのか?」

「行くよ。あたりまえじゃない」

「んー、なんかなあ、このところ海の様子がおかしいって、漁師連中が言っているんだよな」

「おかしい?」

「魚がおかしいんだよ。妙に活きがいいっつーか、暴れるっつーか、漁をするのも一苦労らしい」

「ふーん、でも僕、別に釣りしにいくわけじゃないから」

「いいけどな。だが、この前みたいに思いつきでダイビングするのは勘弁してくれよ。こっちもお前の親御さんに申し訳がたたねえ」

「気を付けるよ」

 僕はカードをひらひらさせて返事した。もちろんそんなことで怖じ気づいていたら何もできないが、準備なしで水泳をするのは御免だとは思っていたので、気を付けるという言葉に嘘はない。

 僕は海に出た。バイクはすっかり直っていて、軽快に波の間を疾走していく。

 入江の地形との関係だけで、目視で判別できるようになっている、いつものポイントでバイクを止めた。ソナーで近くの海を走査してみるが、そこにいるはずのイルカの影はない。

「マリ!」

 無意味と知りつつも海に向かって叫んでみたが、戻ってきたのは低い波の音だけだった。

 バイク屋のおやじの言葉が頭をよぎったが、マリはイルカであって魚じゃない。僕は少し場所を変えてみようと、モーターに火を入れた。

 もしかして妹に嫌われるようなことをしたのだろうかと考え、そんなことはいくらでも思い当たる節があることに今更に気付く。

 二年ほど前のこと。海岸でバーベキューをやるというので妹がすごく楽しみにしていたのは、町内会のイベントだったと思う。他の学年の人たちともその話をしていた記憶があるから、学校の行事じゃなかったはずだ。

 妹は活発な子供だった。小学校の水球クラブでキャプテンをやっていて、指令塔として選手に指示を出すだけでなく、自ら先陣となって敵陣に攻めていくタイプだった。妹が考案した矢印陣形は、隣町の小学校との試合で圧勝してからというもの、そのクラブを象徴する攻め方になったくらいだ。小学生とは思えないくらい、リーダーとしての素質がある子供だった。

 妹はバーベキューの用意をしながら、クラブで一緒だった友達なんかと、磯遊びのことや、そこでとれたものをどうやって食べるのかとか、アメフラシとナマコは似ているから食べれるんじゃないかとか、そんなことを話していた。

 前日の夜、準備を整えて寝ようとしていた僕の部屋にマリが来た。

「ねえ、お兄ちゃん、明日楽しみだね」

「そうだね。だから早く寝ないとな」

「私、行けるよね」

 僕は何のことか悩んだ。天気予報は晴だし、準備はすべて終っている。

「どうして? 誰か行っちゃ駄目って言ったのか?」

「違うけど……。なんか嫌な感じがするの」

「そんなの、気のせいだよ。きっと大丈夫さ」

「本当?」

「ああ、保証する」

 その時の僕は妹の不安なんか何の根拠もないと思っていたし、実際大丈夫だと思っていた。もしかしたら自分で口に出して言っているうちに本当に大丈夫だろうと思いこんでいたのかもしれなかった。

 マリはそのまま僕のベッドに潜り込んで、

「今日は一緒に寝る」

 と言った。どうしたものかとは思ったけど、僕はお兄ちゃんなわけで、こんなことで動揺してはいけない。お兄ちゃんはお兄ちゃんとして落ち着いて見せないといけないのだ。だから僕は仕方がないなと言いながら、灯りを消してマリの隣りに並んだ。マリは思った以上に小さくて、それがさらに身体を丸めているものだから片手で抱きかかえられそうだった。

「おやすみ」

 僕は目を閉じた。マリの小さな呼吸音が聞こえていた。

 深夜になって、奇妙な違和感を感じて目が覚めた。マリは寝た時よりも更に身体を小さくさせて、苦しそうに浅い呼吸をしている。

 病気? 風邪? 横に寝かしたほうがいいのか? 仰向けにさせたほうがいいのか? 深呼吸をさせたほうがいいのか? 熱を測る? 脈は?

 頭の中を選択肢が通り過ぎていったが、パニックに陥った僕は結局どれも実行に移すことはできず、夜中であることも気にせずに大きな音をたてて両親を叩き起こしに行った。

 マリはそのまま入院した。僕は数日で出られるものと思っていたのだが、検査の結果を受けて入院し続けることになった。

 もちろんバーベキューになんか行けるはずがない。

 結果的に僕は妹に嘘をつき、その後も何度も嘘をつき続けることになる。

 そんな昔のことを考えていたら、ずいぶん遠くまで来てしまったようだ。僕はバイクの速度を落とした。海は静かで、マリはもちろんそれ以外のイルカの姿も見えない。

 持ってきたお弁当を広げることにする。しかしあまり食欲がわかない。試しにビスケットの切れ端を海に投げ入れてみたが、魚が寄ってくることもなかった。僕はビスケットサンドを無理にお腹に押し込んで、再びバイクをスタートさせた。もう一回りしてみようと思いながら。

 海上をまっすぐ走っていると、嫌でも昔のことを思い出す。

 入院してからの妹の体調は、上下を周期的に繰り返していた。その周期はどんどん短くなっていき、平均するとどんどん悪くなっているように見えた。病室にこもっていれば体力も落ちるだろうから、無理もないことだと思ったけど。

 マリが入院していたのはこの町で一番大きな病院で、高台に立っていて町並みの向こうに海が良く見えた。彼女が窓の外の海を見ていると、「バーベキューに行けなかったね」と責められているような気がして、それが自分の勝手な思いこみだとは分かってはいたものの僕はいたたまれない気持ちになった。だからなのかもしれないが、

「マリ、元気になったら海に行こうな」

 と何度も話しかけた。妹はその度に「うん」と小さく頷いたあとで、必ず寂しそうな顔をするのだった。それでも僕はマリと海に行こうと言うことをやめなかった。言っていれば本当になるかもしれないと、一度失敗したにも懲りずに信じていたのだろう。

 入院して一ヶ月が経ち、マリの体力は明らかに落ちていった。それと同時に、寝込む頻度も多く長くなっていった。

 ある日、突然マリが苦しみだした。発作とも言えるものだった。こんなことは始めてだ。たまたま僕も両親も病室にいて、僕と母さんはベッドの両脇についてマリの名前を呼び続け、父さんはナースコールの応答が待ちきれなくて人を呼びに出ていった。

 妹は目をきつく閉じ、苦しそうに息をしている。母さんがタオルをぬらしてきて、顔の汗をぬぐってやったが、次々としみ出るような汗が止まらない。僕はただ彼女の手を握り続けていた。

 やがて主治医の先生と看護婦さんたちが来て、点滴の用意をし、注射を一本打った。五分ほどするとマリの状態は落ち着いてきた。呼吸はまだ不安定だったが、すくなくとも身体の緊張はわずかにほどけ、表情もおだやかになってきた。それを見届けると、主治医は両親を連れて部屋を出ていった。

 マリはうっすらと目をあけて、まだ荒い呼吸の中で僕に尋ねた。

「お兄ちゃん、海、行けるよね」

 僕は妹の手を握り、始めて自分の意志で嘘をつこうと思った。他人に責められても、自分の良心に責められても構わないから、今は嘘をつこうと思った。

「行けるよ。きっと行ける。すぐに良くなるさ」

 医者と両親が戻ってきて、マリはそのまま処置室に運ばれた。

 そして二度と戻ってこなかった。

 この時になって、僕は妹が何の病気だったのかさえ知らされていなかったことに気が付いた。しかし知っていたところで、何もできなかっただろうし、やっぱり僕は嘘をつき続けただろう。

 妹は、嘘をつき続けた僕のことを恨んでいるかもしれないし、軽蔑しているかもしれない。今となっては確かめる術はないし、それも仕方がないことだと僕は思うが、後悔がないと言えばそれこそ嘘になる。

 だからイルカになった妹が僕に愛想をつかして、海から出てこないのだとしても、僕はそれを受け入れるしかない。大きく迂回してから入江に戻った僕は、そう考えていた。

「よう、今日はずいぶん早いあがりだな」

 バイクを倉庫にしまっていたら、オヤジがやってきた。

「まあね、こういう日もあるよ……多分」

「海はどうだった」

「静かなもんだったよ。魚なんか全然いないんじゃないかと思うくらいに」

 オヤジは顎をさすりながら、ふうむと答えた。

「浜から見ていたんだがな、海鳥が全然見えなかったんだよな。ということは魚もいないってことだ。本当に魚が全然泳いでいなかったのかもしれないな」

「どういうこと?」

「そこまでは知らねえよ。集会でもやってたんじゃないのかね」

「そんな、野良猫じゃないんだからさ」

 オヤジは背伸びをしながら海を眺めていた。

僕にとっては魚のことは正直どうでもいい。ただマリが現れなかったことだけが気がかりだ。もし海の生物に集会があって、それに出ていただけとかいうのなら、どんなに安心だろう。



3


 その後の一週間の間に、いくつかのニュースが新聞の地元版の記事になった。

 シャチがダイバーを襲い、鰯の群が網を食い破り、カマイルカが漁船に体当たりをしてもう少しで転覆させるところだった。僕にとって幸いなことは、バンドウイルカについての悪いニュースがなかったことだ。

 僕は今週も海に出る。さすがに両親は心配したが、水上バイクの行動範囲なんてたかが知れていると、分かる人が聞けばすぐ分かる誤魔化しかたをして家を出た。

 しかしバイク屋のオヤジは分かる人なので、簡単には騙せない。

「坊主がどこに行っているかは知らんけどな、一応親御さんからよろしく頼むと言われている身としては、危険の可能性があれば駄目と言うしかないな」

「ちょっと近間を回ってくるだけだよ。なんならGPSをモニターしてくれてもいいし」

「そんな無粋な真似は趣味じゃねえ」

「じゃあどうすればいいのさ」

 僕は落ち着きなく波の境目を目で追った。僕の頭にあるのはマリのことばかりで、先週会えなかったことも今週の海難事故の続発も気になってしかたがない。その意味では、海難事故に首をつっこまないどころか、もし妹が事故に関わるようなら全力で彼女を助けるつもりでいた。彼女が加害者と被害者のどちらであったとしても。

「二時間だ」

「え?」

「二時間で戻ってこい。その時間で行動できる範囲なら、まあ大丈夫だろう」

 オヤジはそう言って僕の頭をぽんと叩く。僕はカードをポケットから出しながら、顔を上げることができなかった。

 無言でバイクのモーターを動かす。時間の約束は守るという意志表示に代わりに、一回だけ頷いて海に出た。

 海が変わってしまった、というのがこの一週間での大人たち、そして世間の認識だ。漁師たちも最低限の漁しかしていないし、港のほうでは海上保安庁の船が入港しているという話も聞く。父さんの話では、飛び込みでやってきた海上保安庁の職員たちの宿泊施設の確保が役所に依頼されたものの、小さい町のことなので間に合わず、隣町の旅館まで押さえて送迎バスを出すようにしたのだとか。

 だけど今僕が走っているこの海は、何も変わっていない。

 一週間前に走った時には、奇妙な静寂が支配していた海中も、当たり前のように泳ぐ魚の姿が見える。それを追う海鳥たちも同じだ。少なくとも海岸からそれほど離れていない範囲であれば、際だった変化は見られない。良く知っている海なように思えた。

 いつもの待ち合わせの場所に着いた。モーターを止めて、ウイングを開く。

 波の音と風の音が、混じり合って耳に届く。

「マリ」

 一呼吸置いたあと、声を大きくして呼んだ。

「マリ!」

 キュイ。

 僕は声のほうを向く。波間に黒い背びれが現れて消える。かと思ったら、その影はみるみる近付いてきて、大きくジャンプした。灰黒色の身体が弧を描いて着水する。バンドウイルカ――マリだ。

 マリはバイクの周囲を一周し、僕の足下に口の先端を乗せた。

「行こう!」

 声をかけるとマリはくるりと反転し、バイクの下を潜って抜けて、横に並んだ。僕はバイクのグリップを強く握り、モーターを全開にする。

 景色が流れる。二週間前と同じ流れ、これを待っていたのだ。

 隣りでマリが続けざまにジャンプを繰り返し、その度に水しぶきが僕のゴーグルにかかる。やめろよと言ってみたけれど、顔が笑うのを止められない。

 やっぱり同じだ。いつもの海だ。僕が知っている、僕とマリの海だ。

 マリはイルカになった。イルカになって自由を得た。海を渡り歩く大きな自由だ。そして僕はここにいて、マリは僕の隣りで泳いでいる。泳いでいてくれる。バーベキューはできないけれど、一緒の海で泳いでいるのだ。

 僕は何を危惧していたのだろうか。マリがどこかに行ってしまうとでも思っていたのだろうか。

 そんなことはない。妹はここにいる。

 ――キュキュイ。

 妹が鳴いた。お兄ちゃんとでも言っているみたいだ。試しに真似をしてキュウと喉から声を出してみたら、マリもキュウと返事をした。

 僕はバイクの計器をチェックする。少し入江から離れてしまったかもしれない。時間も一時間半近くが経っているし、そろそろ引き揚げ時かもしれない。

 バイクの速度をゆるめて、イルカに近付いた。

「マリ、今日はそろそろ帰らないといけないんだ」

 イルカがわずかに身体を捻る。

「みんなが、海の様子がおかしいって言っているんだ。僕にはそうは見えないけれど、でも気をつけておいたほうがいいと思う」

 マリはそれを理解したのか、水中に潜りバイクの周囲を回る。

 と、いきなり方向転換し、沖に向かってすごい速さで泳ぎだした。その先を見ると、遠くで海鳥たちが集まり、小さくだが船の姿も見える。

 マリはジャンプした。空中で頭を回してこちらを見る。ついて来いと言っているように見えた。

「どうしたんだよ!」

 僕は嫌な予感に襲われつつも、バイクのノーズを回して沖を目指した。

 近付いてみたらその船は、見慣れた漁船ではなく、海上保安庁の巡視船だった。白い船体に、青のマーキングがしてある。

 海鳥たちは高度を維持したまま、海上の様子を窺っているようだ。そして海面にはおびただしい数の鰯[いわし]や鯵[あじ]に加え、その群を囲むように数匹のマイルカが泳いでいる。

 巡視船と魚群の間には距離があり、まるで睨み合いをしているみたいに見える。

 マリが両者の間を突っ切るように泳ぎ抜けた。仲裁に入ろうというつもりだったのかもしれないが、逆にそれがきっかけになってしまった。マイルカたちと囲んだ小魚の群が、一斉に船に針路を向けた。まるでマイルカが小魚を誘導し、兵隊のように船に向かわせたように見えた。

 巡視船はというと、それを見越していたように装備した機関砲の首を魚群のほうに回した。テレビで見たことのある巡視船は不審船に向かって放水していたが、さすがに海の生物相手に水で攻撃しても意味がないのだろう。

 機関砲が連続して火を噴いた。海上で水柱があがり、銀色の魚たちが腹を上にして浮き上がる。これだけの数だから、闇雲に撃っても何発かは当たるだろうし、着弾した周囲の魚も衝撃で失神する。

 しかしマイルカたちはひるまない。水中で身体をくねらせて、魚を集めて再度突撃させ、挑発するかのように水上に飛び出したかと思うと、一気に潜って銃撃を避ける。

 僕はマリの姿を探した。どうなっているか理解できない状況だが、こんな争いに妹を巻き込むわけにはいかない。

 マリは離れたところにいた。船と魚の間を泳いだあと、大きく距離をとって回り込んできたようだ。僕はマリのところまでバイクを移動させ、騒ぎの様子を見守った。

「マリ、これは……何がおこってんだろう」

 魚を指揮しているのはイルカだ。普通のイルカにそういう知能があるものなのか、僕は知らないけれど、目の前の状況はそうとしか見えない。

 マリは僕の周りを行ったり来たりしている。

 バラバラバラという音とともに、魚群が巡視船に激突した。船体がわずかに揺れるが、船は大したダメージを受けたようには見えない。魚たちは反転して距離を取った。背後から機関砲の掃射を受けて、何十匹もの魚が海面に浮かぶ。

 そのうちの一発か二発が命中したのだろう、マイルカの一頭から鮮血が海に流れ出した。別のマイルカがそれをかばうように上に乗り、背中を押して船から離れる。

 突然マリが泳ぎだした。

「マリ! どうする気だよ! マリ!」

 僕はあわててその後を追った。

 マリは魚群に辿り着くと、負傷したイルカに並び、キュキュと鳴いた。呼応した周りのイルカたちも一斉に鳴き始める。マリは水中で一回転すると、巡視船に向かって泳ぎ始めた。その後を、イルカと、イルカに誘導された魚たちが追う。

 マリが仲間の復讐をしようとしているのか、争いをやめるよう説得でもするつもりなのかは分からない。でも巡視船から見たらマリは僕の妹ではなく、ただのイルカでしかない。

 僕はバイクの速度を上げた。一気に距離を縮めて、先頭のマリに並んで彼女を追い越す。巡視船の機関砲が回頭するのが見えた。

 左から回り込み、右ウイングを展開し急速右旋回する。その勢いを使い、水面を離れ、マリと彼女を狙う機関砲の間に割り込んだ。

 炸裂音と、金属の駆体が穿たれる音が続き、僕の身体はバイクから放り出された。落下する先の海にマリの姿を見留めながら、僕は意識を失った。

 ――意識を取り戻したのは、白くて硬質な乾いたベッドの上だった。

 円形の窓と規則的な上下の揺れのせいで、寝ていたままでもここが船の中だと分かる。仰向けだった身体を横に倒したら、身体のあちこちを鈍痛が走った。なんとか腕全体を使って上半身を起こそうとしていたら、部屋にいた白衣の老人が僕に気が付いた。

「起きたかね。ああ、無理せんほうがいい。そこらじゅうを打撲しているからな。骨は折れていないようだが、まあ、陸に戻ったら一度ちゃんとした病院で検査してもらうんだな」

「僕は……?」

「わしが聞いたのは、バイクに乗ったガキが機関砲の前に飛び出してきたって話だが。そんで海に落っこちたってな」

「マリは? 僕と一緒にいたイルカはどうなったんですか?」

「ああ、バンドウイルカのことか。随分なついていたようだが、感謝しないといけないな。お前さんが着水する瞬間に海面にあがってクッションになったらしいからな。多分骨折せずに済んだのはそのお陰じゃないかね」

「それで、どうなったんです? 船がイルカに銃を撃っていたじゃないですか」

「まあ、慌てなさんな。知っている範囲で良ければ教えてやるから。お前さんが海に落ちたあと、一緒にいたバンドウイルカはお前さんを背中にのせたまま放牧魚のほうに泳いでいって、イルカたちのそばを二、三往復したあと、巡視船のところに戻ってきた。そしてしきりに鳴いたらしい。我々もお前さんが背中に乗っているから銃撃することもできないし、そのうち船員の誰かが助けてくれと鳴いているんじゃないかと言い出して、ようやくお前さんを船の上に引き上げたんだ。バンドウイルカは船を離れていったそうだが、案外この近辺を泳いでいるんじゃないかとわしは思っとるがね」

「そう、ですか」

 マリは僕を助けたあと、仲間であるイルカのところに行ったのだろうか。それともこの医師が言うように、まだ僕の近くにいるのだろうか。

「でも、そもそもどうして魚とやりあっていたんです? それにあのイルカの動きは、まるで指揮でもしているみたいでしたよ」

「それはな、」

「それについては私から説明しよう」

 ドアのところに、白い保安庁職員の制服を着た中年男性が立っていた。男性はこの船の船長だと自己紹介した。

「まあ、民間人に怪我をさせたというのを隠匿は出来ないからな。たとえ君自身にも責任の一部があったとしても」

「無茶だったとは思います。でも僕はあのイルカを助ける義務があったんです」

「あのバンドウイルカはこのあたりに住んでいるのかね?」

「そうです」

「なら心配ないか。……国際海洋開発基地の事件は知っているかね?」

「核実験施設のことですか?」

「そうだ。その事件を頭に入れた上で聞いて欲しいのだが、海洋放牧漁業というのは、回遊魚たちをイルカを使って誘導している方式だ。君も知っているだろう。このあたりで放牧している魚とイルカは、南の沖を回って近海に戻ってくる。そして、この数日というもの、南方――すなわち海洋開発基地周辺を泳いで戻ってきた魚たちに異変が生じている。簡単に言えば、知能が異常に発達して凶暴になっているのだ」

 ニュースでやっていた奴だ。魚たちが人間を襲っているという。

「君が見た魚群も、放牧魚をイルカが扇動したものだ」

「マリは――僕と一緒にいたイルカは、人間を襲ったりしません」

「ああ、今のところ狂暴化しているのは、南方から戻ってきた魚とイルカたちばかりだ。それでもこの近海に集まっているだけで、二十群ほどいるがね。政府は核実験施設との関連性の調査を始めているよ。陳腐な話しだが、つまり放射能汚染との関連性をだ。まあ、仮に関連性があるという結論になったとしても、責任の所在を追求するのは難しいだろうがね」

「それで、魚たちをどうするんですか?」

「簡単だ。処分するしかないだろう。ただそれほど簡単ではないな。さっきも言ったが、イルカの知能は飛躍的に向上している。君も見たように、数匹が協力して自分たちより知能の低い魚を誘導して、襲いかかってきているんだ」

「勝てるんですか?」

「おそらくな。知能が向上したとはいっても、結局戦略という概念を持つには至っていないからな。人間なら小学生だって学級対抗でチームを組んで戦うくらいのことはするだろう? でもイルカたちにはそれが出来ない。だから最終的には人間の敵ではないよ」

 しかし船長は付け加えた。

「もっとも、リーダーになれるくらいの知能を持ったイルカがいれば、状況は変わるだろうがね」

 僕は唾液を飲み込んだ。意図しない音が喉から出て驚きつつ、努めて冷静な振りをする。

「もし、そんな――人間並の知能と戦略を持ったイルカがいたら、どうします?」

「そりゃあ、つらいだろうな。できればそんな相手とやりあいたくないし、やりあったとして勝てるかどうか。海の上は基本的には彼らのフィールドだしな。こちらの対応方針も抜本から見直す必要があるだろうと思うね」

 船長は窓の外に視線を投げた。そして誰に向けるでもなくつぶやく。

「知能を持ったイルカたちが人間を襲うのも分からないではないのだよ。放牧イルカからしてみれば、自分たちの海の仲間を飼育して人間に食料として売り渡しているようなものなんだからな」

 船長の横顔は、どこか同情しているように見えた。



4


 電話を借りて、家に連絡をした。既にバイク屋のオヤジは約束の時間までに僕が戻らないことを両親に告げていて、警察に頼るべきか三人で相談しているところだった。オヤジに怒鳴られていると船長が電話を代わってくれて、僕が事故にあったこと、心身ともに無事であること、責任をもって送り届けることなどを話してくれた。おまけに、自分たちが身分を偽っていない証拠に海上保安庁から警察に連絡して、駐在に僕の家まで挨拶にいかせるという。

「ちょと身体は痛いけれど、大丈夫だから」

 僕はそう言って電話を切った。船長は仕事があるからと言い、僕は医務室に戻るように言われた。

 医務室に戻った僕は、ベッドに腰掛けて老医師の白衣の背中を眺める。

 船長の話を思い出してみたが、全部を理解できた訳ではない。正確には理解というより納得だろう。話自体は――物語じみていることを別として――難解なものではない。しかし、起きていることとその原因とがどうも噛み合わないような感覚が頭を離れないのだ。この船の乗組員はどう考えているのだろうか。

「ん? どうした」

 視線に気が付いたのか、老医師が振り返った。

「イルカは、どうして人間を襲うんでしょうね」

 その理由が納得できないのだ。

「知らんよ」

 老人はあっさりと答える。

「正直に言えば、知らんことにしていたほうが気が楽なんじゃよ。わしも、この船の人間もな。身にかかる火の粉は振り払わなければならないという簡単な動機だが、相手が人間じゃなければ余計な気遣いをする必要もないしな」

「例えば、話し合いとか」

「イルカとか? 確かにイルカの言語を研究している奴は世の中にはいるがな。小難しい意志疎通は不可能だ。もし仮に今のイルカたちがそれだけの言葉を操る知能を得ていたとしても、言語を研究している時間なんかない」

 だから処分するのか。力をもって消し去るのか。

「ちょっと甲板に出てきていいですか?」

「構わんが、あと一時間もすれば夕食じゃぞ」

 その言葉で、僕は昼食を食べていないことと、自分が空腹であることに気がついた。

 甲板を照らす陽光は既に夕方のものだった。僕は手すりに身体を預けて海面を眺める。深緑の上に橙色のまだら模様が、形を変えながら揺れていた。

 イルカたちの行く末をぼんやりと考える。このままだとイルカたちは殺されるだろう。そして争いは終わる。人々のほとんどは、イルカたちの反乱があったことさえも知らないだろう。彼らの生活には突然変異したイルカのことなんか関係ないのだから。

 なによりも、僕には関係ないことなのだから。

 本当だろうか。

 マリはイルカで、マリは僕の妹で。

 マリには関係のないことだろうか。

 マリがイルカたちの味方をするかどうかは、僕には分からない。マリが何を考えているか分からないし、もし真実を教えたところで、彼女がどちらの味方をするのかは、やっぱり僕には分からないのだ。

 もしかしたら、マリは何も知らない方が良いのかもしれない。世界中の大多数のイルカと同じように、これから起きることをマリが知らないとしても、何の問題もない。たとえマリが人間の知能を持っていて、それ故に戦局を変える可能性を持っていたとしても。

 マリは僕の妹なんだ。ただそれだけなんだ。何も知らないまま、僕と生きていけばいいじゃないか。

 何も知らないまま生き続ければいいじゃないか。

 そして僕は、マリに嘘をつき続ければいいじゃないか。

 これまでと同じように。

 ……これまでと、同じように。

 ざわざわという波の音を幕切れの拍手とするかのように、太陽が水平線の先に落ちていく。海鳥はかん高い声を残してどこかに去っていった。

「……マリ」

 声を海に落して僕は待った。まだこのあたりにいるかもしれないと、老医師は言っていたが、その言葉には何の保証もない。だけど僕はマリが自分から離れないだろうことを、ほぼ確信していた。

 日の落ちた海から、ぱしゃんという音が響く。灰黒色の身体が流れるように近付いてきた。僕はそれを心の底から美しいと思う。

 キュイ。

 マリが水面に顔を出した。僕は手すりによじのぼり、船縁を大きく蹴って海に飛び込んだ。

 冷たい。身体を貫くように、冷たい。海の中で身体を丸める僕のそばに、マリがまとわりつく。僕は大きく水をかき、まるでマリとダンスを踊っているかのように螺旋を描いて海上に出た。

 大きく息を吸い、マリの背中にしがみつく。

「マリ、本当のことを教えてあげる」

 そして、僕はマリに、長い長い話をした。

 夕食の時間になっても僕が姿を見せないので、老医師が探してみたら海に仰向けになって浮いている僕を見つけ、人をやって引きずり上げて、僕はようやく船の上に戻ることができた。話をした後マリは姿を消し、僕はさてどうしたものかと考えながら、なんとなく夜空を眺めていたのだ。

 船長からはきつく注意を受けたけれど、その説教は長くは続かなかった。部下からの急な連絡を受けた船長は、説教を中断して船橋に戻ったのだ。僕はその後を追いかけた。

 船橋内には数人の職員が詰めていて、到着した船長に次々と報告を入れる。

「魚影です。魚影が近付いてきます。三メートルクラスが約二十体。おそらくイルカかそれに類するものです。それ以外にも小さな影が無数です」

「矢印型になってます。これはまるで隊列を組んでいるみたいだ!」

「バカを言うな。そんな知恵が奴らにあるものか」

「しかし、これは一撃突破を意図した隊形としか考えられません。外側を大型の影が囲み、内側を小型の影が埋めています」

「転進して回避しろ!」

「は。しかし相手の速度からすると、追いつかれる可能性が高いと思われます」

「なんてことだ……」

 僕は濡れた頭にタオルを乗せたまま、外を見ていた。遠くの水面が銀色にさざめいている。イルカと魚の群は、巡視船に向かってぐんぐんと近付いてくる。

 これはイルカによる宣戦布告なのだ。

 僕は見届けようと思った。マリは自分の意志で病気になったのでもなければ、自分の意志でイルカになったのでもない。

 その彼女が、今度こそは自分の意志で決断を下したのだ。

 人間の元を離れて、イルカの味方をするのだと。

 僕は嘘をつかなかった。

 マリは自らの選択をした。

 だから僕は、その結果を最後まで見届けようと思う。

 それが兄として、妹にしてやれる最良のことだと思うから。


彼と彼女と彼の彼


1


 石渡巌男[いしわたりいわお]という名前はいかにも質実剛健で、熊と戦っても片手で勝てそうな印象を与えるが、それはあながち間違いでなく、実際、巌男はデカかった。

 デカい図体に加えて、鋭い目つきと短めの髪型のせいで、他人を威圧する風貌をしている。ただ道を歩くだけで、誰もが彼を避けて通る。

 しかし一見暴力的な彼の見た目が彼の人間性をも支配しているわけではない。彼は最近の高校生には珍しく、極めて漢気に溢れる人物であった。武士道と言ってもいいし、騎士道と呼んでも良い。彼は正義を信じ、愛を拝し、己の拳を真実のために捧げていた。

 だからその日、夏休みが明けて半月しても暑さの残る朝の通学路、駅を出て五十メートル歩いたところで、女子高校生が不良にからまれているの見て、放ってはおけなかった。

 背がすらりと高く、肩先で短めにそろえた髪型の女子高校生で、毅然とした態度をとってはいるものの、見るからにおびえている。

 そして対峙するは、見るからに不良な男子高校生。髪の毛は茶色く、それでいて典型的なサル顔をしていて、シャツの裾も襟元もだらしなくたらしており、ズボンもダブダブだ。しかも一人の女性を相手に二人がかり。片方が背が小さく、見るからにそちらが子分だろう。

 見るからに見るからのシチュエーション。巌男の正義の心に火がついた。女子高校生の前にずかずかと割って入り、二人組の男を正面から見据えた。

「下がれ」

「何だ、お前は」

「義を見てせざるは勇無きことと教えを受けている。正義は俺にある。下がれ」

 子分の方が前に出る。

「ああん? 何、訳わからねえこと言ってるんだあ? 格好つけてんじゃねえよ」

「男たるもの、婦女子が困っていたら助けるものだ。格好などという問題ではない」

「それが格好つけているってんだよ!」

 子分が巌男の肩を付きとばす。しかし二回りも大きな巌男の身体は、ぴくりとも動かない。子分はあっさりとキレた。右手を拳に固めて、大きくスイング。巌男の腹部にパンチを繰り出した。しかし巌男は動かない。拳を腹で受け止めて、平然としている。子分は二度、三度とパンチを繰り返す。それでも巌男は動かなかった。

「なんだあ、こいつ」

「男の生き様というものを見せてやる」

 巌男は静かに言うと、子分の肩を両手で掴み、そのまま持ち上げた。ひきつる子分を、捻りを加えながら斜め後ろに投げ飛ばす。数秒の出来事だった。

「おもしれえ」

 巌男より若干小柄な、親分が前に出た。小柄といっても、普通の高校生よりは背も高いし、身体つきもがっしりとしている。

「俺は西高の水上[みなかみ]ってもんだ。お前は?」

「草凪原[くさなぎはら]学園の石渡巌男だ。名乗った以上は対等の戦いといきたいところだが、俺は争うことが目的じゃあない。婦女子から手を引き、この場は終わりにできないものか」

「そうはいかねえな。邪魔された上に、顔に泥を塗られて黙って引っ込む訳にはいかない。お前は既にトシオを潰しているからな。それを見逃したとなれば、俺のメンツが潰れるってわけだ」

 巌男の背後で倒れている子分に視線を投げる。

「ならば仕方がない。だが忘れるな、正義は俺にある」

「ただのええかっこしぃだろうがよぉっ!」

 水上の鋭くも重い右ストレートが飛ぶ。巌男はそれを手の平で受け止め、勢いを流しながら水上の腕全体を抱え込む。そのまま体重を加えて押さえ込みながら左の肘を打ち込む。

 水上は腰を落としてそれをかわし、相手の左肩に掌底を打ち込む。巌男はそれをかわすと同時に水上から離れて距離をとった。

 双方ともに、流れるような動き。

 睨み合いが続いた。

 じわりじわりとすり足で間合いを詰めつつ、相手の出方を窺う。

 最初に動いたのは水上だった。

 顔をめがけたパンチの連打。巌男はそれを下腕で受け流す。数度続いた後、ひときわ強いパンチが巌男の腕を横へと飛ばす。がら空きになった腹部に向かって、巌男の拳が命中した。

 防御できない。拳の力をすべて腹に食らう。

 クリティカルだと水上は思った。だが巌男は笑った。唇の端をゆがめて、にやりと笑って見せた。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 巌男は腹に食い込んだ水上の腕を掴み、前へ前へと突き進み、咆吼とともに水上の身体を突き飛ばした。腰から地面に転んだ水上の頭上めがけて、巌男は拳を振りかざす。

「危ない!」

 後ろから女の声がした。短く良く通る声だ。

 咄嗟に振り返ると、トオルと呼ばれた子分が四角いパイプを振り上げている。黄色と黒の工事中と書いてある奴だ。A型バリケードが正式名称だが、名前はどうでも良い。巌男は腰を落とし、そこから斜め上をめがけて高い蹴りを繰り出した。

 ガシャンという音とともに、黄色のバリケードが後ろに飛んだ。巌男はそのままの勢いで、踵落としを繰り出す。手下は再び沈んだ。

「落ちろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 背後から水上の叫び。身体を反転させたが、既に水上の水平蹴りが直前に迫っていた。避けられない!

 その時、巌男の視界の端を白い影が飛んだ。

 影は水上の正面に躍り出る。

 白いブラウスで、女性で、ショートボブ。巌男が助けようとした女子高校生だ。

 巌男が「下がれ!」と叫ぶ間もなく、大きく跳んだ女性のつま先の蹴りが水上の顎に炸裂し、スカートがはらりと舞い、女性は空中で一回転して、軽い音とともに着地した。

「ピ……ピンクの水玉……」

 最後の言葉を残して、水上は沈没した。

 女性は頬にまとわりついた髪の毛を払いながら巌男の方を向き、笑いながら言った。

「あんた、強いわね」

 戦士の笑顔であった。

「私は来輪[くるわ]咲季[さき]。あんたと同じ草凪原学園の生徒よ」

「お…お前はいったい……」

「助けてくれて、ありがとう」

「お、おう。男たるもの、女が困っていたら助けないとな。……だが、実は必要なかったようだな」

「まあ、一人でもなんとかなったんだけれどね。やっぱり女の子はとりあえずおとなしくしてなくちゃかな、と思って」

「能ある鷹、という奴か。今の動きは相当な使い手と見たが」

「爪を隠した猫かもよ。私のは自己流。たいしたことないわ。ただ、守られるだけの女になるのが嫌なだけよ」

「いや大したものだ。何より心意気がすばらしい」

「あんただってたいしたものよ。今時、女の子が絡まれているところを助ける男なんてね。しかも、ちゃんと倒しちゃうし」

 咲季が右手を出した。握手? いや拳だ。

 そうだ、戦士は拳で理解しあうものだ。巌男も握った右手を出し、拳を合わせた。

 合わせた拳から、繋がる精神。

 疑うことのない、友情を感じた。

 漢と漢の友情であった。

 心と心の友情であった。

 

 

 実際、「男らしい」という形容詞を使うようなことが起こるなんて、咲季にとってみれば久しぶりのことだった。しかも、その男は咲季と同じ学校だという。気にならないというほうがおかしなことだ。

 だから友達に聞いてみた。

「石渡くん? 知っているわよ。あのC組の」

「有名なの?」

「うーん、まあ有名と言えば有名ね。C組に行ってみれば分かるわ」

 やはり男らしい男というのはそれなりに目立つのだろうと思った。多少強面ではあるが、やはり女は強い男に惹かれるのだろう。実は、結構モテるのかもしれない。まあ、心の友が人気者なのは、それほど悪い気分ではない。

 咲季は昼休みに会いに行くことにした。

 昼食をさっさと片付けてC組に向かう。咲季はF組なのでC組みと授業が一緒になるようなこともなく、親しい友達もいなかったが、行けばなんとかなるだろうと思った。

 C組の後ろのドアのガラスごしに、教室の中を覗いてみた。窓際の方の席で男子が数名固まっており、それを遠巻きに女子たちが眺めている。女生徒は時折笑い合ったりしていて、多分固まっている男子の中心にいる人物の噂をしているのではないかと思われる。だとすれば、その中心人物こそが、巌男であろう。

 ドアをがらりと開けて、一歩を踏み出した。男子の群の中心に、男子生徒が座っているのが見える。

 巌男だ。

 咲季は一歩を進めようとして、動きを止めた。

 巌男の隣りに寄り添うように、一人の生徒が座っていた。巌男はその人物の肩に手を回している。というより、肩を抱いていると言ったほうが良いかもしれない。

 巌男の肩くらいまでしかない小柄で細い身体に、光の加減か薄茶色に光る髪の毛。身体の割に大きな瞳が印象的で、巌男が話すのに相づちを打ちながら、時折ころころと笑い声を上げている。

 それはそれは綺麗な、

 

 男の子。

 

「なんじゃそりゃ――――――――――――っ!」

 咲季はずかずかと教室の中に割って入っていった。

 驚いた男子生徒が道を開ける。咲季は巌男の正面に陣取った。

「ちょっとあんた、何よその隣りの綺麗な{\gt }は!」

「ん? おお、朝の女か。元気か?」

「元気とかいう問題じゃなくて、何デレデレしているのかって聞いてんの! あんたの男気はどうしたのよ!」

「愛もまた男気のうちだ。愛を持たない男は、真の男ではない」

「愛って! 隣りにいるのは{\gt }でしょうが!」

「何を言っているんだ」

 巌男は怪訝な顔をした。

「ゆーやは可愛いじゃないか。この可愛らしさの前には男も女も関係ない」

「ゆうや、っていうの」

 二人のやりとりを不思議そうに見ていた隣りの少年は、咲季に向かい満開の笑顔を振りまきながら答えた。

「頚城[くびき]悠弥[ゆうや]だよ。巌男くんの友達?」

「心の友よ。ソウルフレンドよ。拳を合わせて友情を誓い合った仲なのよ。それなのによりによって男といちゃついている男だなんて!」

「性別で愛を差別するのは良くないぞ」

「そういう問題じゃないわよ。だいたい本当に男なわけ? 男装している女の子とかそういうオチじゃないわけ? 男でいいわけ?」

 周囲を取り巻く男子たちを順番に睨み付けた。

「あんたたちは、男同士がこういうことしていて変に思わないわけ?」

 男子は顔を見合わせて、ぼそぼそと返事する。

「と言ってもなあ」

「本人たちが良いって言うなら、なあ」

「実際、悠弥は可愛いしなあ」

「下手したら、そこらの女より可愛いしなあ」

 ぴくりと咲季の眉毛が動く。今度は遠巻きにしている女子たちに怒鳴りつけた。

「あんたたちはどうなのよ! こんな状況で平気なわけ!」

 女子たちの反応も似たようなものだった。

「まあ、綺麗な男同士なら、ねえ」

「石渡くん、格好いいし」

「悠弥くん、可愛いし」

「石渡くんが攻めで、悠弥くんが受けって奴?」

「ちょっとドキドキするかも」

 話にならない。

 どいつもこいつも、こういう調子なのだろうか。――いや違う、集団から離れて一人座っている女子生徒がいる。彼女は正常に違いない。

「あなた!」

 女子生徒が立ち上がった。二つ分けのお下げ、眼鏡をかけている。図書委員かクラス委員かどちらかに違いない。真面目な生徒に違いない。こんな異常事態は認めないに違いない。

「あなたは、こんな人たちとは違うわよね」

「当たり前よ!」

 力強く主張を始めた。

 そうだ、彼女は普通に違いない。

「あなたは、委員長?」

「いえ、ただの文芸部員よ」

「いいわ、文芸部。びしっと言ってやって」

 ごほんと、軽く咳払い。

「そんなヤオイ穴があると信じているような腐女子たちと、私を一緒にしないで欲しいわね。いい? 男同士ってのはねえ、オシ」

「やめてよして許してそれ以上言わないで!」

 勘弁して……。

 咲季には今の状況が信じられなかった。

 拳と拳を重ね合わせ、心の友と認めあい、その男気を心底見事と認めた男が、よりによって男とデキている。しかも周囲がそれを公認している。

 いや確かに、この悠弥という少年は美少年である。可愛いという表現のほうが適切かもしれない。もし悠弥が女で咲季が男だったら、惚れていたかもしれない。

 待て待て、自分は女で悠弥は男なんだから、そのカップリングはありである。悠弥を押し倒して無理矢理奪ってしまえば、巌男はショックで改心するかもしれない。

 でもそれも乱暴な話だし、別に悠弥が欲しいわけではなく、巌男の男気を取り戻したいだけのことだ。こんな美少年とべたついている巌男は、男らしくない。それだけのことである。

「そうは言っても、こういう部分も含めて俺は俺の男気を貫いているわけだからなあ」

 巌男が反論した。

「女に興味はないの?」

「女か……。そりゃ、昔は遊んだものだったさ。自慢じゃないが、女のほうから次々に寄ってきたから、順番に付き合ってみたりもしたもんだが、それは真実の愛ではなかったな。高校に入って、悠弥に出会って、俺は真実の愛を知ったんだ」

「だ―――――――っ! それじゃあ駄目だってのよ!」

 咲季は人差し指を突き出して、

「いいわ。私があんたのその性癖を矯正してあげる! その歪んだ愛を直してあげる。本当の男というものに、更正させてあげる!」

 高らかに宣言した。

 


2


「あんたの萌えポイントを教えなさい」

 巌男の目の前に、咲季が指を突きつけた。

 放課後のことである。

 授業が終わり、悠弥と帰宅しようとしていた巌男を咲季がつかまえたのだ。

「意味のわからないことを言うな」

「分からないことないじゃない。女の子のこういう仕草が好きとか、こういうシチュエーションが好きとかあるでしょ? それを教えなさいよ。矯正のとっかかりにするから」

「ゆーやがいれば、俺はそれで良い」

「じゃあ、その悠弥でも良いわよ。悠弥の好きな仕草とかそういうの」

「ゆーやのことなら全部、良い」

「それでも何か、これはってのがあるでしょうが。妄想でも良いから言いなさいよ」

「肩から胸にかけてを手の平で包むようにゆっくりとさすり、先っちょを指で撫でた時に、ぴくんって震えるのが」

「や、やめましょう。この話題を続けるのは危険ね」

 そして悠弥に向かい、

「あんたはどうなのよ。女の子のこういうところに弱いとかないの?」

「僕は、どんな女の子も素敵だと思うよ」

「……あんた何者? どこのフェミニスト?」

「でも、アニキが笑顔の可愛い女の子が良いって言っていた……かな」

「お兄さんがいるの」

「おい、ゆーやのお兄さんは生徒会長だぞ。頚城会長を知らないのか」

 知らない。咲季にとっては生徒会なんてのは季節の変わり目に選挙カーで騒いでいるおじさんと同じくらいのものでしかない。

「生徒会長というくらいだから、まともなのね?」

「まともって?」

「女の子が好きなのかってこと」

「生徒会長はモテモテだぞ。知らないのか」

 知らない。咲季にとってはモテモテの軟派男は、発情期に吠えている野良犬と同じくらいのものでしかない。

 しかしこの場はそういう意見が重要だ。

 まずはその笑顔とやらを試してみよう。

「で、どういう笑顔がいいのよ」

 悠弥は首を傾げる。

「色んなバリエーションがあるって言っていたけれど、一番ストレートなのは、首を三十度傾けて目を細めて口元を、ほら、こんな感じで」

 悠弥が微笑む。

「天使の笑顔じゃ――――――――っ!」

「ええい黙れ」

 悶える巌男を押しのけて、咲季も真似をした。首を傾けて口元を、にっ、と。

「どう?」

 ……。

 巌男が咲季の肩に手を置いた。

「俺はあえて鬼となり、修羅となる。お前のために、包み隠さずはっきりと言おう。可愛くない」

「巌男くん、女の子にそんなこと言っちゃ駄目だよ」

「じゃあ、ゆーやは可愛いと思うのか」

「……う、うん。女の子はみんな可愛いと、」

「良いわよ、もう」

 咲季は顔と首の位置を元に戻した。

「あ、じゃあね、あとアニキが言っていたのが、ちょっと前屈みになって下からのぞき込むように『どうしたの? 』って聞いてくるのが萌えるって」

 言われた通りに、咲季は腕を前で交差しつつ、前屈みになり、唇をとがらせながら、一旦目を伏せて下からすくい上げるように視線を上げて、

「ねえ、どうしたの?」

 ……。

 いやいや、巌男も本当の意味での鬼ではない。一度は友情を誓い合った相手を、叩きつぶすのは忍びないと思っている。だから精一杯の優しさを込めて言った。

「いいか。人には個性というものがある。何をやっても可愛くない女がいたとしても、それは個性として俺は認めるぞ」

 もちろん悠弥も、鬼ではない。

「咲季さんは、可愛いというより精悍って感じだから、無理に媚びを売るような真似をしなくたって」

「でも、可愛いい方が男にモテるのよっ!」

「ちょと待て、お前、目的がすり替わっているだろう」

 そうだった。別にモテるための特訓ではない。

「次! 悠弥、次は?」

「うーん、例えば、白い砂浜を子犬と戯れながら走る様子とか、ってのも言っていたかな」

「犬ね。砂浜は無理だけど、犬と言えば公園ね。行くわよ!」

 咲季は有無を言わさず二人の腕に両手を絡ませた。

 

 

「なあ、だいたいどうしてこういうことになったんだ?」

「そりゃ、あんたが悠弥にへらへらしているからよ。男といちゃついている男は、男らしくないわ。私が本当の女の魅力という奴を教えてあげる」

「女にメロメロな男は、男らしいのか?」

「言い寄ってくる女を、さらりとあしらうのが男らしいのよ」

「俺は言い寄ってくる女をさらりとあしらっているぞ、今は」

 話がかみ合っていない、と咲季は思う。咲季の理屈もかなり強引なのだが、巌男の感覚が完全に独自路線を走っているので、それを直そうという咲季の方向性と九十度食い違っている。男らしさとは何かという問題ではないのだ。

 だけど、咲季は諦めない。男気のある男が減っている世の中で、巌男のような存在は貴重だと思う。この拳に賭けて、巌男を更正させてやろう。

 公園の空は高く、青く、果てしない。

 咲季は真上に手をかざし、指の間だからこぼれる太陽の光に目を細め、次に手を握りしめてぐっと力をこめた。

「気合い入れていこうっかなっと!」

「何にだよ」

「自分によ、自分に。さあ、見せてやるからね、子犬と戯れる少女って奴を」

 ぎらぎらと熱い眼光を咲季はまきちらす。巌男も悠弥も、果たしてこのまま好きにさせて良いものかと、目をそらした。

 二人に目をそらされたので、ぐわっと首を回し目標を探す。

 犬。かわいらしい子犬!

 可哀相なことに、十メートル離れたところを一匹だけで歩いていた柴犬と目が合った。

「ほうら、ワンちゃーん」

「おい、あの犬、首輪しているぞ。飼い犬なんじゃ」

「あははは、ワンちゃーん」

 逃げる柴犬。

「待てー」

 追いかける咲季。

 そして呆れる男性二人。

「ありゃ、何か間違った構図だよな」

「うーん、間違っているような気はする……かな」

 怯えて逃げる柴犬に、迫る咲季。確かに追いかけっこにはなっているが、明らかに悠弥が言っていた萌える光景とは違う。

 角を曲がったところで、引き綱を持った女性が飛び出して柴犬の首にしがみついた。柴犬はか細い声を出して、その女性にまとわりつく。

「トリビア! トリビア! 探したのよ。大丈夫だった? 食べられたりしなかった? ああ、よしよし」

 咲季は立ち止まり、柴犬の目に向かって視線で問いかける。自分との追いかけっこは楽しくなかったのか。心の交流ではなかったのか。

 トリビアは幾分申し訳なさそうに、視線をそらした。

「へぇ、へぇ。そうなんだ」

 咲季はその場を後にした。敗北であった。

「まあ、何事も無理矢理ってのは良くないよな」

 巌男はたしなめるように、励ますように声をかける。

 咲季は念仏のようにつぶやいた。

「犬さえも……。犬さえも、私から逃げていったなんて。そんなに可愛くないのかしら……。どうすれば、私を讃えるような人が現れるのかしら」

「お前、目的がすり替わっているって」

「あ、アニキが言っていたけれどさ、歌なんかはどう? 歌姫って言うじゃない。歌を歌うと、平和が訪れたり世界を救えたりするみたいだよ」

「歌! 歌ね! 歌は世界を救うのね。ウィ・アー・ザ・ワールドね!」

 そして二人の男の腕を掴む。

「じゃあ、次はカラオケね」

 


 三人で連れだって街に出た。放課後で夕食前のこの時間は、若者と主婦とが商店街に入り乱れて歩いている。

「本当にカラオケに行くのか?」

「いきなり私をステージに立たせてくれる店でもあるの?」

「ステージに立ちたいだけなら、ストリッぐぉ」

 咲季の拳が巌男の顎に食い込んだ。

「何か楽しいね、僕、女の子と一緒にこんな風に遊ぶこと滅多にないから」

「意外ね。悠弥なら女の子が寄って来そうなものだけれど」

「なんか、距離を取られちゃうんだよね」

 それは多分巌男のせいなのだが、まあ敢えて言う必要もないだろう。咲季はそれを打破するために、今、頑張っているのだし。

「あ、ここ、ここ。この店、昼間は安いのよ。一人一時間二百円」

 学生が夕食前に少しだけ遊んでいくのに良いシステムだ。その証拠に今も店の中から三人連れの高校生男子が出てきた。

「あ、」

「あ、お前は」

 昼間の不良だった。水上とその子分。更に子分がもう一人。

 水上は巌男たち三人を上から下まで眺め回した。そしていかにもいやらしい口調で、

「助けた女をナンパしてよろしくやってるってか?」

 巌男が一歩出ようとする。その袖を悠弥が引っ張った。

「巌男くん、喧嘩しちゃだめだよ」

 替わりに咲季が腕に力を込める。

「咲季ちゃんも」

 二人は踏みとどまった。

 水上は悠弥を興味深げに見る。

「なんだこいつ」

「お前には関係ない」

 ふん、と水上は鼻で返事をする。二人の子分は雰囲気を察したのか、早くも戦闘態勢に入っているようだ。

 だが、水上は二人を制する素振りをし、

「機会はある。覚えておけ」

 三人を押しのけた。子分二人は不服そうな態度を表しつつ、三人を睨み付けて水上の後に続く。

 水上の後ろ姿を見ながら悠弥が言う。

「あれって、西高の人だよね。何かあったの?」

「気にするな。ゆーやには関係ない」

「あんまり関わらない方が良いと思うよ。西高って最近悪い噂を聞くから。駅の隣りに工事中の場所があるでしょ? あそこのはずれの空きプレハブを秘密基地みたいにしてたむろしているっていう話だし」

「なんであんたがそんなこと知ってんのよ」

「アニキから聞いたんだよ」

「生徒会長ってすごいのね」

「ゆーやの兄貴が特別なんだよ。知らないのか? あの人の情報網はCIAよりもすごいって」

「NSAって言っていたよ、アニキは」

「よく分からないけど、すごいのは分かったわよ。それよりも、歌! 歌よ!」

 三人はカウンターで受付をし、個室に通された。

 咲季が曲目の本をパラパラとめくり、リモコンに番号を入力する。

「歌姫と言えばバラードよね。聞いてなさいね」

 そして高らかに歌い上げる。スローテンポのバラードを、切なく、情緒的に、感情を込めて、力強く。

 ――力強く?

「なんというか……」

「……巌男くんとデュエットしたら合いそうだよね」

「スーパーロボット物のエンディングって感じだな」

「咲季さんって普通にしていれば、お嬢様っぽいのにね」

 咲季は息をつく。歌い終わった疲労と、誉められているのか分からない感想の両方に対してだ。

「じゃあ、悠弥、歌ってみなさいよ」

「僕、あんまり最近の歌を知らないんだよ」

「なんでも良いわよ」

「じゃあ、アニキが良く聞いている歌を」

 曲を選び、番号を入力。イントロが始まった。

 咲季は唖然とした。

 男にしては高めの声の中にも、張りがあり良く伸びる。そして何よりもポップス調の曲に合った歌い方が、とても可愛らしい。

 巌男は歌に合わせてマラカスを振りながら、「ハイハイ!」とか「キュンキュン!」とか、合いの手を入れている。ノリノリである。

 完全に咲季の負けだ。歌で悩殺するとすれば、確実に男は悠弥の歌声にまいるであろう。

 咲季は肩を落とした。

 

 

 カラオケ屋を出たら、既に暗くなっていた。

 咲季は敗北感に打ちひしがれていた。笑顔も、子犬も、歌も、何をやっても悠弥にはかなわない。これでは普通の女よりも悠弥のほうが良いと証明しているようなものだ。巌男が男気を取り戻すとは思えない。

 しかしその理屈を言い換えれば、男気というものは女に依存していることになってしまう。それは正しいのだろうか。女に左右される男気が本当の男気であろうか。それはそれで疑問に覚えてくる。

 むしろ女に左右されない、いや他人に左右されない心こそが男気ではなかろうか。だとすれば、咲季がやったことは完全に見当違いだということになる。

 嫌になってきた。

「ねえ、咲季ちゃん、そんなに気を落とさないでよ」

 誰のせいで気落ちしているのか、分かっているのだろうか。

「んと……、他にアニキが言っていたのはねえ。一見汚い浮浪児を連れて帰って風呂に入れて綺麗にしたら美少女だった、なんていうシチュエーションも萌えるって言ってた」

「あんたのお兄さんって、変態?」

「誰が変態だって?」

 男の声が割り込んだ。

「アニキ!」

 悠弥が叫ぶ。巌男は軽く頭を下げて挨拶、咲季もそれにならう。一応先輩で生徒会長でCIAだから。

「だけど、どうして悠弥のお兄さんがいるのよ」

「それはここが俺の家の前で、俺は家に帰ろうとしているからだ」

 背後に目をやると、日本家屋の門があった。お屋敷だった。頚城と書かれた表札があった。

「悠弥の家って……」

「古いだけだよ」

「ああ、古いだけが取り柄の家だ。それよりも、石渡、お前今朝、西高の生徒とやりあったんだってな。そっちのお嬢さんも」

 これが驚異の情報網って奴か。

「やりあったというか、こいつが西高の奴に絡まれていたから俺が助けただけで」

「そうそう、私を助けてくれたんだから、この人は悪くないです」

 生徒会長は問いつめる。

「じゃあ、男女の二人組が西高の生徒を叩きのめしたというのは?」

「それは、結果的にそうなっただけで……」

「私たちが望んでそうしたのではないわけで……」

「あいつらには近付かないほうがいいぞ。忠告しておく」

「そうだよ。二人とも、乱暴なことに巻き込まれないようにね」

 悠弥は子供を叱るように指を立てた。

「じゃあ、僕は帰るから。巌男くん、咲季ちゃんを送ってあげるんだよ」

 悠弥とその兄は古くて重厚な屋敷の門の中に消えていった。

 歩き出そうとする咲季の後を、巌男が追いかける。

「別に送らなくてもいいわよ」

「いや、送る。ゆーやに言われちまったし、そうでなかったとしても、夜道を女一人で帰すわけにはいかない」

 こういうところはやっぱり男らしいのだけれどな、と咲季は思った。



3


 水上の手元にはコーヒーの缶が一本。隣りに空き缶がもう一本。空き缶は煙草の吸い殻入れと化している。

 コーヒー缶を弄びながら、舌打ちした。

 やられっ放しの舐められっ放しでは気が済まない。しかし腕づくが通用しないのは、嫌と言うほど分かっている。負ける戦いをしかけるほど、水上はバカではない。何の戦略もなしに生きていては、西高の一派を束ねることなぞ出来はしない。

 駅の再開発の過程で出来た工事現場のはずれのはずれに、水上たちのアジトはあった。

 アジトといっても、作業員の休憩所と倉庫を兼ねて使われていたプレハブ小屋が放置されていたのを、勝手に借用しているものだ。鍵はついていたが、ピンシリンダー錠くらい素人だってピッキングできる。プレハブとは言っても、荷物置き場でもあったせいか面積はかなりのものがあり、映画に出てくるような倉庫街の不良のたまり場と比較しても遜色ない。

 それぞれが持ち込んだテーブルやら椅子やら漫画やら飲み物の空き缶やらが、床じゅうに散乱している。雑然としていたが、居心地は悪くなかった。何よりも秘密基地というのが堪らない。

 ここは自分達のフィールドだ。勝つためには相手を自分たちのフィールドに引き込んだ方が良い。そしてもう一つ、相手の弱点を突くことだ。

 水上はコーヒーの最後の一口を飲み干すと、子分の一人を呼びつけた。

 小声でいくつかの指示を出す。子分はゆっくりと頷いた。

 

 

 昼休みになっても、咲季は現れなかった。

 だから巌男は、思う存分、悠弥にくっつくことが出来た。

 朝の通学路で悠弥と一緒になり、これはラッキーとばかり並んで歩いていると、後ろから「おはよう」の声とともに咲季のラリアットを食らった。

 それから学校までの間、咲季は新しい作戦がどうのとか、いっそ悠弥を裸にしてみたらどうだとか、適当なことを喋り散らし、巌男と悠弥の二人は適当な相づちを打ちながら歩いたのだった。

「じゃあまたね」と言いながら校門のところで別れたので、てっきり昼休みも襲撃されるかと思ったが、予想に反して咲季はやってこない。

 不思議なもので、来ないなら来ないでそのことが気にかかってしまい、悠弥との話題も咲季のことになる。

「あいつは結局何をしたいんだろうなあ」

「巌男くんのことが好きなんじゃないの?」

 悠弥が悪戯っぽく笑う。

「んなわきゃねーよ。あいつとの関係は男と男の友情みたいなもんだ。あいつ自身がそう言っていただろ?」

「そうだとしても、さ。咲季ちゃんは、男らしい巌男くんが好きだから、そうでない部分があるのを許せないんじゃないのかなあ」

「だからと言って、あいつのやっていることは理解できねえよ。男同士の友情がどうのとか言うわりに、女らしく見てもらいたがってみたりな」

「静かにしていれば、美人さんなのにね。もったいないなあ」

「いっそのこと、男らしさをとことん追求しちまえば良いのにな。そっちの方が似合うかもしれねえな」

「そりゃ、ひどいよ」

 ころころと悠弥が笑う。

 色々言ってはいるが、彼女の勢いに押し流されるのは、二人ともそれほど嫌いではないのだ。

 その時、クラスメイトの一人が教室に飛び込んできた。巌男と悠弥のところに走り寄り、大声で叫ぶ。

「大変だ! 来輪さん、来輪咲季さんが、連れて行かれた!」

 巌男と悠弥は顔を見合わせ、同時に言った。

「自衛隊の勧誘にかっ!」

 

 

 報告してきた生徒の話はこうだ。

 校庭のフェンスごしに西高の生徒が咲季に話しかけた。咲季は言われるがままに校門まで移動し、そこで二人の西高生と話をしていた。話の内容までは分からないが、ふいに咲季は西高生に倒れかかった。二人の西高生は、咲季を抱えるようにして校門の外に連れ去った。

「なんでお前らはそれを黙って見ていたんだよ!」

「いや、来輪さんが貧血で倒れたのを、病院に連れていったのかなって思って。でも、普通は保健室に連れていくだろうから、おかしいと思ってここに言いに来たんだよ」

「あいつが貧血なんか起こす玉かよ」

「え、お嬢様じゃないのか?」

「激しく全面的に百パーセント違う。ついでに言うと、昨日あいつと俺とで西高の奴らとやりあって、目をつけられているから、恨みを買う理由はある」

「じゃあ……」

「巌男くん、ここで議論していても仕方がないよ。助けに行かなくちゃ」

 悠弥が言い争う二人を制した。彼の意見がもっともだ。

「でも、どこに」

「西高の人でしょ? ならきっとアニキが言っていた工事現場のたまり場だよ」

「悠弥、場所わかるのか?」

「うん、多分」

 巌男と悠弥は立ち上がった。

 勢いよく教室を飛び出したところで、人影にぶつかる。悠弥の兄だった。

「おい、どうした悠弥」

「咲季ちゃんが西高の奴らに連れて行かれたんだ!」

 それだけ叫んで、悠弥は走り去った。

 残された生徒会長は、教室の中で呆然としている生徒たちを見回して言った。

「ふむ。さて、どういうことになっているのか、説明して貰えるかな」

 

 

 水上は五個目のコーヒーを空けて、空き缶を投げた。ドラム缶で作ったゴミ箱に命中し、ガランという音をたててその中に消えていく。

 手下に向かって何度目かになる言葉を投げつけた。

「なんでこういうことになってんだよ!」

 答えも同じである。

「ですから、朝、石渡の奴が学校に行くところを張ってたんですよ。そうしたら、この女がやってきて楽しげに話してたから、昼休みまで張り込んだところでこいつを拉致ってきたわけでして」

「そうじゃないだろ! 俺は、石渡と一緒にいる可愛い子を連れてこいって言ったんだ。あの野郎、あの子の言うことならなんでも聞くみたいだからな」

「だから、石渡と一緒にいた女を連れてきたんですって」

「それがどうしてこんな奴になるだよ」

 水上が指さした先には、咲季が椅子にロープで結びつけられていた。

「こんなピンクの水玉女を連れてこいと言った覚えはねえよ!」

「ちょっと! 今日は穿いていないわよ」

「……」

「……なによ」

「パンツ穿いていないのか?」

 咲季は暴れた。椅子ごとひっくり返さんかという勢いで暴れた。

「このロープをほどきなさいっ! 一回こいつを殴ってやる!」

 水上が合図すると、手下の数人が咲季を取り押さえにかかる。ロープは更に強く巻かれた。

「気をつけろ、こいつ見た目と違って乱暴な女だからな。……それにしても、良くこんな凶暴な女を連れてこれたな」

「そりゃあ、ちょっと薬を使いましてね」

「そんな真似をしたのか」

 いくら水上でも、それは少し納得できない。卑怯な真似までしたいとは思っていなかったし、計画ではそんなことする必要もなかったはずだ。大人しい子を一人連れてくるだけのはずだったのだから。

「こんな乱暴な女じゃなくて、もっと可憐で可愛い子がいただろうが」

「そんなことないですって。石渡と一緒にいた女はこいつだけです」

 そのやりとりを、咲季が鼻で笑う。

「へへん、もしかしてあんた、悠弥のこと言っているんじゃないの? だとしたらご愁傷様、あの子、男の子よ?」

「はあん? 何寝ぼけたこと言っているんだよ。あんな綺麗な男がいるわけねえだろう」

 こいつもまた、悠弥の魅力に陥落した一人と化したか。咲季は肩を落として嘆息。もうバカには付き合ってられないと、正直思う。

 どんな言葉を投げつけてやろうかと考え、口を開こうとした時だった。

 プレハブのドアが大きな音をたてて開いた。

 扉の外には二人の人影。大きいのと小さいのだ。

「そこまでだ! か弱き婦女子を誘拐するなどと、男の風上にもおけん奴。正義は俺にある。堪忍しろ」

「咲季ちゃん、大丈夫!」

「おお、スィートハニー!」

 最後のは水上の声で、もちろん悠弥に向けての言葉だ。

 巌男と悠弥は怪訝な顔をする。そこに水上が畳みかけた。

「こっちだってこんな女には用はない。俺が用があるのは、そっちのカワイコちゃんで、お前の目の前であんなことやこんなことをして、精神的ダメージを食らわせてやろうと思っていたものを」

「ちょっと待て、ゆーやは男だぞ?」

「何だって」と水上の動きが止まる。悠弥を凝視し、首を捻って咲季を見て、再び悠弥を見る。

「胸は同じようなものに見えるが」

「がーっ! ロープをほどきなさいっ! こいつ絶対殴ってやる!」

 咲季が暴れる。水上の手下がそれを取り押さえた。

 巌男と悠弥が身構えた。

「そいつに手を出すんじゃない!」

「ほほう」

 水上がほくそ笑む。

「それなら、カワイコちゃんと交換ってのでどうだ?」

「馬鹿言うな」

「待って、巌男くん。本当に僕がそっちに行けば、咲季ちゃんを離してくれるんだね?」

 水上はいやらしく笑いながら、手下を順番に見回す。

「ああ、そうだよなあ? お前ら。俺は別にこいつには興味ないからなあ」

「いいよ。僕がそっちに行けばいいんだろ?」

「待てよ、ゆーや。あいつらを信じていいのか?」

「しかたがないだろ。女の子をあんな目に合わせておけないよ」

「ゆーや、お前って奴は……。男らしいぜ」

「やめて! みんなで私のために争わないで! そんなに私が欲しいのなら……」

「いや、お前はいらない。おい」

 水上が合図をすると、手下の一人が咲季の腕を掴み椅子から立たせた。背中を押して前に進ませる。

 それを見た悠弥が、一歩ずつ前に歩いていった。

 一歩、また一歩。やがて二人はすれ違い、離れていく。

 水上が悠弥の腕を掴み、引き寄せた。

「ほっそい腕だな、たまんねえよ」

 そして首で周囲に合図を送る。

 巌男の元に駆け寄ろうとしていた咲季に、手下の一人がスライディングで足払いをかけた。両腕を縛られたままの咲季はバランスを崩して側面から倒れる。そこを別の手下が受け止めて、羽交い締めにした。

「咲季ちゃん!」

 咲季は苦しそうに顔をゆがめ身じろぎするが、ロープはほどけない。

「残念だなあ。俺は興味ないんだけどよ。こいつらが興味あるらしいんだ」

 水上のひきつった笑いが響き、それに合わせるかのように十人近い手下が周囲を取り囲んだ。

「さて、石渡。俺たちは必要なものを手に入れた訳で、お前にはもう用がないから帰っていいと言いたいところだが、昨日のツケは払って貰わないと気がすまねえな」

 水上の手元には悠弥、手下の二人に押さえられた咲季。この状態では、巌男も動きようがない。下手に動けば、大事な悠弥と、あまり大事ではないけれど男として放ってはおけない咲季がどんな目に遭うか分かったものではない。

 巌男自身は多少の攻撃を食らっても、持ち前の頑丈さで耐えられるだろうが、それでは状況の打破にはならない。

 すり足で後ろに下がりつつ、徐々に構えを取っていくが、突破口は思いつかない。

 取り囲む男たちは、巌男を中心ににじり寄っていた。

 その時、咲季が騒ぎ出した。

「この卑怯者! 大人数でよってたかって、しかも人質まで取って! あんたらなんか、男の風上にもおけないわよ! そんなことで男として恥ずかしくないの? 女の腐ったのって言葉があるけれど、腐った男のほうがよっぽど性質[たち]が悪いわね。最っ低!」

「うるせえな。おい、まずそいつを黙らせろ」

 手下の一人が咲季の横っ面を殴り飛ばした。咲季の上体が崩れる。

「おとなしくしてろやっ!」

 もう一人が咲季の胸ぐらを掴んで引き上げた。制服のブラウスのボタンが跳ぶ。

 巌男が力を込めて一歩踏み込む。それを牽制するかのように、手下の一人がポケットから折り畳みナイフを開いて、刃先を咲季の頬に当てた。

 動きが止まる。

 ――。

 しんと静まりかえった中で絞り出すような声がした。

「やめ……なよ……」

 ゆっくりと響く、悠弥の声だった。

「女の子に……乱暴にしたら……駄目だろ……」

 これまで聞いたことのない、低く太い声だ。

「ああん? 大丈夫だよ、お前には優しくしてやるからよお」

 見下ろそうとした水上の視界に、既に悠弥の姿はない。

悠弥の身体が消えた。



4


 水上は空になった自分の手を見る。そこから五メートルは離れたところで、骨がぶつかる音とともに、咲季を押さえていた手下の一人の身体が飛んだ。

 そこには悠弥の姿があった。綺麗に足を伸ばし、そのつま先が手下の腹部に命中している。

 誰もその動きを認識できなかった。

 咲季を押さえるもう一人が、ナイフを構える。刃を垂直に立て、真っ直ぐに突き出してきた。

 悠弥は軽くたたらを踏んでそれをかわし、伸びきった相手の手首を膝で突き上げた。

 ナイフが空を飛ぶ。

「巌男くん!」

「おうっ!」

 巌男がナイフを空中でキャッチ。それを奪い返そうと巌男に手を伸ばした男の延髄に、悠弥の蹴りが鋭く炸裂した。

 巌男は咲季の元に走り寄る。

 手下の男たちが、一斉に悠弥を取り囲む。それに紛れて、巌男は咲季を輪の外にひきずりだし、ナイフで腕のロープを断ち切った。

 咲季が驚いた口調で問う。

「どうなってるの?」

「ゆーやがキレちまったんだよ。滅多にないんだが……」

 悠弥を囲んだ中から、血の気の多い一人が飛びかかった。

 顔を目がけた右の拳をかわして、腹部に掌底。

 前屈みになった男の腕を掴み、腰を入れて一本背負い。

 投げ飛ばされた男の巻き添えになって、二人が倒れた。

「悠弥って……」

「あいつの家、空手の道場なんだよ。あいつも小さい時から無茶苦茶しこまれている」

 あの大きな日本風屋敷はそういうことか。

「そんな風には見えないのに」

「普段がおとなしいからな。無意味に喧嘩をしてはいけないともたたき込まれているし。だけど戦う理由があれば、その反動で容赦なしだ」

 その間にも、一斉に飛びかかった三人に身体を捻りながら足払いを食らわせ、一人、二人、そして三人を潰す。

 今の悠弥には戦う理由があった。

 女性は守らなければならない。女性は大事にしなければならない。そう教えを受けてきた悠弥にとっては、咲季に暴力をふるった連中は許せない。許す理由がない。

 後ずさる円陣をぐるりと見渡すと、今度は自らが攻撃に出る。

 速い。

 手近な一人に一気に間合いを詰めて、倒す。次、そして次。

 瞬く間に円形に並んだ手下たちの半分が地に伏した。

 残る半分を睨みつける。

 下がる男たち。じわりと攻めの体勢をとる悠弥。

 その中に水上が割って出た。

「おもしれえ! 最高におもしれえ! やっぱり石渡の野郎のところに置いておくのは勿体ねえや! 俺のところに来い!」

「ふざけないでよね。今の僕は、本気だよ」

「いいぜ! 相手になってやる。お前みたいなのを、戦いの女神って言うんだよぉ!」

 悠弥が消えた。水上の懐に飛び込む。横からの蹴り。

 水上はそれを腕で受けた。腰を落として衝撃を吸収する。

「お前は速い。見えないくらい速い。だが軽い。軽いんだよぉ! その細っこい身体じゃあ、たいした威力にはならねえんだよ!」

 確かに、悠弥に倒されたはずの手下たちは、早くも復活して起きあがろうとしている。

 水上は悠弥の足を力任せに引っ張り、反動を利用して胸に拳をたたき込んだ。

 大きく右手を振りかぶり、走りながら身体中の勢いを腕に集めて、悠弥の顔面に襲いかかる。

「悪いがなあ! その軽さが命取りよ!」

「そこで俺だ!」

 水上の拳を受けたのは、割って入った巌男の顔面だった。

「悠弥に足りない重さは、俺が補う!」

 にやりと笑いながら、顔面にめり込んだ水上の手首を捻り上げる。

 悠弥は既に体勢を立て直し、水上の背後に飛び込んでいた。

「巌男くんに足りない速さは、僕が補う!」

 水上の膝の裏に低い蹴りを叩き込む。水上がバランスを崩す。そこに巌男の激しい殴打。

 巌男の防御力は無尽蔵である。頑丈さで言えば巌という名前に負けていない。攻撃力もそれに比例して高いが、それはどちらかというと頑丈さを売りにした力任せの戦い方である。

 それに対して悠弥はスピードを命としている。威力こそ低いが、相手の懐に飛び込んで一撃をくらわせるゲリラ的な攻撃は、誰も見切れない。

「俺には速さが足りないが!」

 右に一発。

「悠弥と組めば怖いものはない!」

 左に一発。

「正義は我らにある!」

 無敵であった。

 続けざまに殴られる水上を見て、周りの手下たちが二人に襲いかかった。

 しかし無駄だった。

 相手の攻撃は巌男が受け、防御が薄くなったところに悠弥が急接近。急所を突いて悠弥の鋭い攻撃。そして巌男のトドメの一撃。

 今度こそは起きあがれない。

 二人組にかなわないと分かると、手下たちの注意は咲季に向かう。咲季を押さえれば、悠弥と巌男の動きを止められるだろう。数人が咲季に襲いかかった。

「バカにしないでよ!」

 咲季は唇を軽く舐め、男たちに向かっていく。

 軽く跳躍。膝を食らわせ、そのまま力任せに横に投げ飛ばす。

 倒れていく男の頭を両手で掴み、腕の勢いで後ろにジャンプ。両足で反対側の男を蹴り倒す。踏みつけた反動で高く上へ。見上げた残りの男たちを、降りざまに回し蹴りで一殲。

 トンという音とともに着地。手を払う。

 回し蹴りを食らった男の一人が、倒れながら

「水色の……スト」

 首を掴んで潰し、最後まで言わせない。

「乙女の秘密を軽々しく口にするもんじゃないわよ」

 ふんと鼻で笑った。

 プレハブの反対で水上が吠える。獰猛な叫びだ。体内のアドレナリンを一気に放出し、攻撃力へと昇華する。

「メンツってのがあるんだよぉっっっ!」

 巌男の腹部を強打。迫る悠弥の後ろ回し蹴りを右手で受け流し、悠弥に左ストレート。しかし巌男に阻まれる。

 巌男を攻撃してもダメージがない。水上の攻撃は、巌男を牽制しながら悠弥を狙ったものになった。しかし必ずと言って良いほど巌男の邪魔が入る。

 熾烈な応酬が続きながらも、形勢は膠着していた。咲季も割って入れない。

 悠弥が巌男の背後に回って叫んだ。

「巌男くん! 上に!」

 咄嗟にその意図を理解する。巌男はくるりと身体を回し、水上に背中を見せた。

 手を前に出すと、悠弥がそこに足を乗せる。巌男の両腕の力を借りて、悠弥は高く跳んだ。

 水上がそれを見上げる。

「どこを見ている!」

 振り向きざまの巌男の裏拳が、水上の側頭部に命中。

 後ろのめりに倒れていく水上の目に映ったのは、上空から重力に任せて落ちてくる悠弥の足。

 

 

 クラス一同は生徒会長に指示されるがままに警察に連絡し、数名の警官を伴って工事現場のプレハブに向かった。

 生徒会長は指示だけ出すと姿を消したが、そのことを気にしている場合ではない。

 怒濤の集団でプレハブに駆け寄り、そのドアをばたんと開いた彼らの目に入った光景は、

 倒れた男たちを悠然と見下ろす咲季と、

 水上に向けて構えを崩さない巌男と、

 水上の顔面で跳躍し、空中で一回転してから地面に舞い降りた悠弥の姿だった。

 どさりと音がして、水上の身体が床に転がった。

 三人は顔を見合わせて、親指を立てた。

 そこに警官が割って入った。

「君たち、ちょっと話を聞かせてもらおうか」

 倒れている男たちに、勝ち残っている三人。どちらが加害者かと聞かれれば、見ただけでは三人の方だろう。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。俺たちは悪くない」

「そうよ、この二人は私を助けに来てくれたんだから」

 三十代の警官は床の男たちを三人をじろじろと品定めするように見比べながら、

「そうは言っても、状況が状況だからね。病院に連れていかないといけないのは、床に転がっている子たちで、警察に連れていかないといけないのは、君たちということになる」

「そうでもないですよ」

 プレハブの影から声が現れた。

「アニキ!」

 生徒会長は小型のビデオカメラを取り出して見せた。

「これで一部始終は録画してあります」

「一部始終ってどこから?」

「そこの彼女がぱんつはいていないあたりから」

 視線が咲季に集まる。咲季はスカートを押さえながら、

「穿いているって!」

「でもどうやって俺たちよりも早く」

「お前らなあ……、急ぐ時にはタクシーを使うってことを知らないのか」

「そんなお金、持っていないもん」

「金なんてのは使う時にばんと使って、稼ぐ時に地道に稼ぐものだ」

 警官が割り込む。

「で、それを見れば事情が分かると言うんだね」

「分かりますよ。絶妙の角度で水色のストライプも、少年たちの華麗なワンツーフィニッシュも映っています」

「ちょっと待った――――――――っ!」

 咲季の悲鳴が響く。

 しかし生徒会長は涼しい顔。

 悠弥と巌男は顔を見合わせて笑う。

 ビデオを取り返そうとしていた咲季も、その声につられるかのように笑う。

 周囲は不思議そうに、その様子を見守った。

 


 それからの処理というか手続きというか、事件の収拾はほとんど生徒会長の手によってつけられたと言って良い。ビデオを警察に見せて、水上が咲季を拉致し監禁していたことを示し、悠弥と巌男がそれを助けに行ったことを証明した。男性二人は一通り警察から事情聴取を受けたものの、すぐに解放された。

 クラスの皆はと言えば、文芸部員を筆頭に「実は悠弥くんが攻めでもイケるかも」という話題に花を咲かせながら三々五々帰宅した。おそらく次の文化祭で文芸部が発行する同人誌は、凄いことになるだろう。

 更に生徒会長はと言うと、勿論証拠物件のビデオはダビングした後に回収した。家に帰って編集して、学内で売りさばくつもりなのだ。男の子向けと、女の子向け。どちらにどういう内容が含まれるのかは、推して知るべしである。地道に稼ぐと宣言したのは嘘ではない。

 水上たちが巣食っていたプレハブは、取り壊されることになった。

 こうして事件は、ひとまず幕を閉じた。

 

 

 本当に事件が解決したのか、巌男にはよく分からない。だが、いつもと同じように朝は来て、いつもと同じように学校に向かわなければならない。

 そして登校途中で悠弥を見つける。見つけたら走り寄る。当然だ。

 昨日と何の変わりもない一日が始まろうとしていた。

 悠弥が話しかける。

「巌男くん、昨日の傷とか痛くない? 大丈夫?」

「俺は平気だ。頑丈さだけがウリだからな。ゆーやこそ、平気か?」

「僕? 僕は……ちょっと筋肉痛かな」

「はは、そりゃ余裕だな」

 並んで歩く。悠弥の様子は変わらない。もしかしたら「喧嘩しちゃ駄目だって言っていたのに」とか落ち込んでいるかと思ったが、そんな気配は微塵もない。むしろ、何か清々しそうだ。

 清々しい? その通り。巌男は清々しかった。悠弥と共に戦い、共に勝利したことで、一層の一体感を得た。これが咲季が言うところの拳と拳を合わせる友情という奴なのだろう。

「おっはよーっ!」

 咲季の声がした。

 後ろから二人に両腕でラリアット。そのまま二人の首にしがみつく。

「おはよう、咲季ちゃん」

「朝っぱらから元気な奴だな。また邪魔しにきたのか。言っとくけれど、俺は悠弥からは離れないからな。今さっき、これまで以上に心に決めた」

「いいわよ。別に」

「え?」

 拍子が抜ける。

「だってさ、昨日の悠弥も格好良かったっていうか、男らしかったし。あんたはあんたでやっぱり男らしいし、二人が協力して戦うところなんか、こう……ゾクゾクする感じがしたし。だから、二人の関係、友情だよね? それはそれで良いかな、って思って」

 そして二人の間をするりと抜けて、前に軽くジャンプ。振り返りながら、

「二人まとめて、認めてあげるわ」

 拳を前に突き出す。男の誓いの拳だ。

 巌男と悠弥は呆れていたが、やがてどちらともなく拳を突き出す。

 三つの拳がこつんとぶつかり合った。

「変なの」

「まったくだな」

「そうよ、変な友情が始まるの」

 咲季が笑顔で言う。

「拳と拳で誓い合った友情がね。二人とも逃がさないから、覚悟しておきなさいね」



草凪原学園スクランブル vol. 2

2006219日 発行



著 者: 木本雅彦

表紙デザイン: 松下久文

発行人: 木本雅彦


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Copyright (c) 2006, Masahiko KIMOTO, Ph.D.

All rights reserved.

本書の無断複製、無断引用を禁じます。


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