Excerpt for ビデオカメラ VIDEO CAMERA by Hello Ken1, available in its entirety at Smashwords

ビデオカメラ

VIDEO CAMERA

ISBN 978-1-4523-2241-4

Published by Hello Ken1 at Smashwords

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「ビデオカメラ VIDEO CAMERA

 高速道路を降り、県道を峠に向かってバイクを走らせた。途中、細めの県道は青々とした野菜畑に挟まれ、それは彼の気分を幾分癒してくれた。

 彼は澄みきった空気を感じる速度でバイクを駆り、昨日までの思いを忘れようとしていた。道は対向車すらこない。信号にも出会わない。一定の速度を保てた。ともすればオーバースピードになりがちなアクセルワークをそれ以上にも以下にもせず、左右に流れる風景を色としてのみ感じていた

 早朝、マンションを出るときはまだ小雨が残っていた。しかし、小雨は午後の秋晴れを予感させた。予感は的中し、バイクに火をいれたことは正解だった。薄い鱗雲、季節の変わりめを感じさせる淡い光線、それらはヘルメットのシールド越しに上空に広がった。

 

-あれは事故だったんだ。僕のせいじゃない。十日間続いた時期はずれの夏休みは明日で終わる。このままではだめだ。そうはなりたくない。僕には何事にも代え難い夢のような未来が口を大きく開けている。僕の行動を待っているんだ。今日中にどうにか気持ちを整理して、明日はなにくわぬ顔で部屋の掃除でも。

 彼はそう考えた。

 

 道は平地から次第に登りとなり、彼はギアを一段落とした。澄んだ空気と走り易い道、峠までは思った以上に早かった。

 

「あそこの峠にね、香りが高くて、ちょっと他とはひと味違うコーヒーを飲ませてくれる店があるのよ」

 バイク屋の奥さんが地図を見ながら言った。

「店の名前?そうねえ、忘れちゃったわ。でも、その店しかないから間違えはしないわよ」

 

 彼はバイクを喫茶店の先、展望台の近くに止めた。バイクから降りた彼はすぐには店に向かわず、展望台に足を進め、一番見晴らしがよさそうな柵に両肘をついた。

 隣では曜日感覚のない大学生達が数人遊びに来ている。

 しばらく彼は眼下に広がる緑に包まれた村を見ていた。村と思われる所を残しては、木々がもくもくと周辺を覆っている。その木々が吐き出す密度の濃い空気は、村を一層神秘的な物にしていた。

 この展望台の名物なのか、大学生達は隣の足場から緑に囲まれたの村に向かってゴルフボールを打ち放っていた。「打ちっぱなし」と書かれた一つしかない打席からは、下界の練習場とは趣も違って、ボールは濃い空気の中へと消えていく。

「気持ちいいわねぇ、見ているだけで吸い込まれそう」

「交替するか。打ってみるともっと気持ちいいぜ。でも、空振りして下に落っこちるなよ、きっと、助からないから」

「恐いこと言わないでよ。それに、空振りなんていたしません」

 学生達の会話はあっけらかんとしていた。彼はその会話に、自分も一振りすれば気持ちがふっきれるかもしれないと考えた。だが打席は空きそうにもない。後ろのベンチに腰掛け、足を組み、しばらく打席の方を見ていたが、急に思い出したようにバッグを手元に引き寄せた。チャックを開くと中から、彼の手によくなじんだビデオカメラを取りだした。電源を入れ、レンズを学生達に向ける彼。しかし、彼の親指は震え、録画のボタンを押す事はできなかった。

 

「ねぇ、私ばっかり被写体にしないで、あなたを撮らせてよ」

 からりとした空気の中で、涼子は口を尖らせながらアキヒロに近づいてきた。彼は近づく涼子の歩幅に合わせて、手振れがしないように後ずさりする。

「ずるいよぉ」

 彼女はそう言って、腰に手を当て、アキヒロの前に仁王立ちとなった。彼にはそれもファインダー越しにかわゆく思えた。

 

 二人はどこへ遊びに行こうと、一泊以上の時には、ビデオカメラを携帯することにしていた。旅行には車を使い、運転はアキヒロと決まっていた。彼が運転を好きなのもあるが、涼子は長距離の運転が苦手なのもある。彼が運転する間、カーオーディオの操作は涼子の役割だった。それと移動中のビデオ撮影も彼女がこなしていた。ドライブの様子が、流れる周りの景色とともに軽快な音楽をBGMにして、8mmテープに収まる。毎回のことながら、録画されていると思うと、どんなに朝早く出発して機嫌が悪くても意識的に笑顔をつくろうとする。

ーいつまでも記録に残るんだから。

 アキヒロは涼子に釘を刺すように何回も言った。

「運転中の俺は撮るなよ、カメラを意識しちゃって、運転ミスるからさ」

 あまりに何回も彼が口にするものだから、涼子はいつしか運転中のアキヒロを撮影するのは控えていた。

 目的地に着くと、後は一眼レフのカメラとビデオカメラを併用して記念撮影がいたるところで始まる。車を降りるとカメラの撮影は一眼レフであろうとビデオであろうとアキヒロが主導権を握り、被写体は8割方涼子であった。確かに彼女はそう思っていた。

 

 旅行から帰ってくると撮影したビデオをアキヒロの部屋で見る。特に何も気には止めなかった。涼子はただ撮影されたことで、スクリーン・スター、ヘップバーンになったような、何となく甘酸っぱい、快感に近いものを感じていた。そのうえビデオを再生してみると自分なりに満足いく表情が再現されるのでで、ちょっとしたナルシズムを認めざるを得なかった。

 違和感のある自分の声、もっと自分はかわいい声をしているはずだ。アキヒロには、こんな声は私の声じゃない、とふくれてみせながらも、内心では、なかなかどうして素敵じゃないの、という思いがあった。それに私自身が躍動している。ちょっとおっちょこちょいで恥ずかしい部分がたまに目につくけれど、それも愛敬である。

 バレリーナのようなステップを踏みながらアキヒロの前を歩いている。振り返りざまにどこかのお嬢様みたいにお辞儀をしようとする。涼子は小石につまづきバランスを崩すのである。ほほえましさが素直に出ている。

 

 ある金曜の夜、涼子は夕御飯をつくりにアキヒロの部屋を訪れた。彼はそんなこととは知らず、仲間と夜遅くまで飲み歩いていた。彼が帰宅した時間にはもう涼子は帰った後で、ダイニングのテーブルにメモが一枚残っているだけだった。

 

 今度休みを取ってどこか連れてってよ。山のほうがいいな。いつも海だから。

 

ーどうしたのかな、急に連絡も無しにやってくるわ、山に行きたいなんて言い出すわ。

 アキヒロの酔っぱらった頭で考えられるのはここまでで、妙にメモの内容に納得し、いや、納得したつもりになり、彼はそれ以上のことは考えず、そのまま床についた。

 

 涼子はアキヒロが早い時間に帰宅するとはそれほど期待していなかった。約束もしていない金曜の夜なので、どこかでほっつき歩いてるだろうとは予想していた。ただ、それでも終電車には乗ってくると思い、それほど胃にもたれない、すぐ暖めれば食べられるレンジ用の夜食をこしらえて待っていた。

 一人の深夜だと妙に雰囲気がそらぞらしい。他人めいている。つき合いは長いのに、この部屋はアキヒロがいて始めて私の部屋になる。この部屋で、いつもは彼と一緒に見ているテレビを一人で見ることがこんなに退屈だとは思いもしなかった。雰囲気に溶け込ませてくれない。落ちつかない涼子は、マガジンホルダーに入っている週刊誌に目を通した。「真のエンスーとは」、「男だったらここにこだわれ」、「彼女と行く久しぶりの避暑地」。涼子はたまらずため息をついた。

ーこの手の本ってあいかわらず画一的よねぇ。俗っぽいタイトルが、彼女を少しだけ安心させた。

ー夜食の準備もできている、もし仕事で遅くなっているんだったら私がうんと甘えて良いめに合わせてあげる、そんなときのために下着も黒を身につけてきたんだ。

 安心した気持ちでそう思うと、少しずつ部屋の空気が自分にも馴染んでくるような気になった。ついて、部屋の掃除まで始めたりもした。深夜だから、静かに静かに、そう言い聞かせながら、自然と足どりは軽く、十八番の歌を口ずさんでいる。

 だが、12時を少し回るとさすがにやることがなくなってきた。アキヒロの部屋にはファミコンもない。あるのはバイクのツーリング用の地図帳くらいである。あとは、、、このとき二人で旅行に行くときに必ず持っていくビデオカメラが涼子の目に止まった。そしてその横にはきちんとラベルの付いた8mmテープのライブラリーが行儀良く並んでいた。

 

 それから、2時間たってもアキヒロはとうとう帰宅せず、彼女は諦めて帰ることにした。マンションの前に駐車していた彼女の車は、夜気ですっかり冷たくなっていた。キーを回しても一発ではエンジンはかからなかった。テープを見つけて、ずっと見ている間に、霧雨でもしっとりと降ったのだろうか、フロントガラスに付いた細かい水滴が視界を遮り、内側からは涼子の体温でガラスが曇り始めてた。

 

 テープの再生はいたって簡単だった。VHSのビデオの上に据置型の8mmビデオがあり、据置なのですでに配線は施されている。AVアンプはビデオと表示のあるスイッチをいくつか選ぶとそのうち、映像が写し出され、もう少しいじると音声も流れだした。七面倒くさい操作も、アキヒロに何回となく言われていたので、この程度のことだったら大丈夫である。

 準備ができると、まずつき合い始めた頃のテープをセットしてみた。その頃のテープに出てくる自分は若い、今でもまだ十分若いのだが、やはり比べると微妙に違うように思え、くすぐったい恥ずかしさを感じた。だいたい一回の旅行で30分ちょいしか撮らないのだが、その都度その都度忘れずに撮るし、結構海の方、特に伊豆方面に出かけることが多かったので、続けてみると同じような風景もしばしば出てくる。

ーあれっ、以前もこのルートでここに行ったんだ、おんなじようなことしてる、ふふっ。

 涼子はそのうち、テープの早送りを始めた。目新しい風景、他のテープとはちょっと違った仕草を見たくなったのだ。それ程どのテープに納められた涼子も同じような行動パターンを取っている。アキヒロの台詞も似たりよったりだ。それはさっき見た男性週刊誌のハウツー物を十分彼女に連想させた。

 午前2時近くになって、ようやく全ライブラリーの3分の2を見終えることができた。しかし、涼子は仮にもっと時間があってももうこれ以上はビデオを見る気が起こらなかっただろう。彼女は、早送りをしている最中も普通に見ているときも、次第にビデオからは自分の姿しか現れないのに気づき始めたのだ。

 旅行から帰ってきて、そのとき撮ったビデオをアキヒロと見るときには何も気づかなかった。まったく気にも止めなかった。だが、こうやってたて続けに今までのビデオを見ると、嫌がおうにも自分しか写っていないことがはっきりしてくる。

 アキヒロはただ自分に話しかけているだけなのだ。そして自分はけなげにもアキヒロが言った通りに動いている。自分でポーズをつけているときも、急にアキヒロから違うポーズをせがまれると素直に彼のリクエストに応えている。

ー何いったい、これじゃ私はアキヒロの操り人形みたい。こんなんばっかりじゃん。不公平だよ、絶対。うーん。よし、次は私がカメラマンだ。あいつを思いのままに撮ってやるぞ。

 ビデオの電源を切り、涼子はちょっとふくれっ面で、もう帰ろうと思った。

ーまったく、もう二度と夜食なんて作ってあげないんだから。

 立ち上がり、部屋を出ようとする涼子の目にさっきの男性週刊誌が写った。

「彼女と行く久しぶりの避暑地」

 涼子はアキヒロにメモを残し、部屋の明かりを消した。

 

「ねぇ、アキヒロ、白糸の滝をバックにビデオに収めてあげるよ。カメラ貸して」

「だったら、普通のカメラでいいだろ。何もビデオじゃなくても」

 確かにアキヒロの言うとおりである。風景画としておさまりそうなこの滝は、ビデオよりカメラの方が合っているように、涼子にも思えた。それでも涼子は何とかビデオでアキヒロを撮りたかった。

「涼子さあ、俺達、避暑ってことでここに来てんだろ」

 だまってうなづく涼子。

「何か、東京出てからずっと、ビデオ、ビデオって言ってないか」

「そんなことないよぉ」

 彼女はおどけながら、スカートの裾を持ち、くるりと回転した。そして彼に向かってお辞儀をしようとしたときには、すでにアキヒロはビデオを彼女に向かってまわし始めていた。「ほら、自分ばっかりカメラマン。私にも撮らせてよ」

 その言葉を聞き流し、アキヒロはファインダーをのぞきながら、言った。

「ねぇ、もう一回回転して、お辞儀してくれない」

  彼はこの言葉を三回繰り返し、涼子はふくれっ面で、言われる度にスカートの裾を持ちくるりと回転した。

ーどうして私は回転しているのだろう。

 三回目のお辞儀が終わったとき、アキヒロの口元には笑みがこぼれた。

「滝の前でこんなこと繰り返させて、何になるのよ。にやついてないで」

「わかった、怒るなよ。でもさ、あと十回やってくれないかな」

 アキヒロはフイルムを回しながら言った。すると怒っているはずの涼子はしぶしぶと、スカートの裾を持ちあげ始めた。

ーどうして。

 それを確認した彼はビデオカメラのスイッチを切った。

「出来るわけないでしょ、あと十回なんて」 涼子は怒って足早に滝を後にし、車へと向かった。残されたアキヒロは彼女を追いかけながらも、満足げにビデオを肩にかけた。

「なるほど、有効なのは被写体が撮られている時だけか。うん、充分。充分だ」

 駐車場では、車の鍵を持っていない涼子が、助手席側のドアに寄りかかって、ふくれっ面をしている。アキヒロはそんな彼女を見つけるとビデオを回し始め、道の反対側から大声で彼女に声をかけた。

「笑顔で手を振ってくれよぉ」

 彼の思った通り、涼子は笑顔で大きく手を振り始めた。ファインダーの向側でほくそえんでいるアキヒロに気づかず、涼子は微笑んでいる。

「早くぅ、次のとこ、行こぉ」

 

 アキヒロはここでの滞在中、完全にビデオカメラの能力に確信を得た。それまではどうしても半信半疑であったが、今では疑いない。それ故、涼子には絶対に自分を撮らせることをさせなかった。偶然でも、間違いが起こってはいけない。取り返しがつかない事になる。 滞在五日目ともなると、彼はビデオカメラを彼女にさわらせることすらさせなくなった。涼子の行動に敏感になり、カメラは常に手元に置いていた。その行動は病的にすら、涼子に映っていたかもしれない。

 

「ねぇ、何で、私に撮らせてくれないのぉ。カメラ、壊しはしないわよ。私ばっかり写ってるから、後でつまんないの。二人の想い出でしょ。だから、アキヒロのことも撮りたいの、私は」

 避暑最後の日、浅間園の駐車場でアキヒロが涼子を撮っていると、急に彼女の溜まっていた不満が爆発した。何も知らない彼女は、ただ本当に二人の想い出を一緒にビデオに残したかっただけなのに。

 アキヒロにも彼女の真意は伝わってきた。でも、このカメラのことを説明したくはなかった。これからの人生、彼はこのカメラでうまくやって行こうと考え始めていた。秘密は他言してはいけない。どんな小さな穴からでも水は漏ってしまう。そして頑強なダムも崩壊してしまう。そうならないためには、相手が涼子であろうと、説明は出来ない。撮影中、被写体を自由に操れることを教える訳にはいかない。その上、何も知らずに使われたら、いったいどんなことになるだろう。もしかしたらこのカメラの力に、涼子は一生気づかないかも知れない。それでもアキヒロはカメラを使う涼子を想像したくなかった。何が起こるとも知れない。

 

「ずるいよぉ」

 涼子はアキヒロの前に仁王立ちとなった。「いや、撮らせないわけじゃないけど。今度な」

 しかし、涼子はアキヒロの言葉を遮り、カメラに手を伸ばした。この時、ファインダーの中でバッテリー切れが起こり始めている表示を、アキヒロは見逃さなかった。

ーしめたっ。

「あっ、電池、切れかかってるよ、涼子。バッテリー交換しなきゃ」

「タイミング良く、そんなわけないでしょ。撮らせたくないにしても、もっと気の利いた嘘ついてよね」

「やめろよ、返せ」

 アキヒロはカメラをもぎ取った涼子に、急にこのうえなくどうしようもない程、怒りを感じた。

ーどうして言うことが聞けないんだ、このカメラじゃなければ、いつでも撮らせてやるのに。聞き分けのない奴は許せない。

 彼の怒りは少しづつ兆候を示し噴火する火山ではなく、いきなり襲ってくる大地震のようだった。今思えば、彼はここまで感情的になることはなかったのに。

 涼子は、何故アキヒロがこうも大げさなのか分からないまま、きょとんと立っていた。アキヒロの怒りを恐がるよりも、彼の行動が理解できず、何をしていいの分からなくなっていた。感情を抑えることができなくなったアキヒロは、すぐさま涼子からカメラを奪い返し、彼女に向けてファインダーをのぞき込んだ。

「お前みたいに聞き分けのない子は、いなくなってしまえ」

 アキヒロはその瞬間に恐怖を覚えた。

 ファインダーから目を離したアキヒロに映ったのは、信じ難い光景だった。それは彼の指先から血の気を引かせ、両膝からは力を吸い取った。涼子が、駐車場に入ってくる大型観光バスに駆け寄り、その重量を一手に引き受けているタイヤに滑り込もうとしている。

 アキヒロは地面に膝間づいたまま、冷たくなった両手でもう一度カメラを構え、震えながら大声を張り上げた。

「涼子、戻ってこい。涼子」

 しかし、彼が叫んだとき、まさにそのとき、残り少なかったバッテリーは完全に切れてしまった。アキヒロの目はファインダー越しに涼子を見ることはできなかった。震える彼の指は電源ボタンを押し続け、涙で歪んだ顔はカメラからゆっくりと離れた。カメラから解放された涼子の両眼に映ったものは、こんな間近では見たこともない、これから先見ることもない、とてつもなく大きく、いやらしいほど黒い塊だった。

 涼子は一瞬、思った。

「何が起こったの、アキヒロ」

 そして、アキヒロの叫ぶ声が、最期に耳にこだました。

 

 現地での取り調べは、アキヒロと涼子、二人の人間関係に的が絞られた。

「僕は涼子を愛していたんです」

 本当にそうだったのか、今となっては実感が湧いてこなかった。確かに手は震え、足腰は立たなくなった。それが愛している事に本当につながるのか。

「自殺をしむける理由なんて、どこにあるんですか」

 泣きはらした目で取り調べに応えた。この涙は演技だと、アキヒロは次第に思うようになった。感情に流されて、口をすべらせてはいけない。

 駐車場にいた人の話で、涼子は自分から観光バスに飛び込んだ事になっている。ただ、目撃者は不思議とよく見ていて、彼女がバスに向かって走り出す前にアキヒロとカメラの奪い合いをしているのを、言い忘れなかった。

「あのとき、カメラにフイルムを入れずに、撮影のふりだけしていたのが、涼子にばれちゃったんです。よくあるでしょ、そういう冗談」

 いなくなれっ、の言葉が録音されているフイルムはカメラから抜いて、既に隠していた。あくまでも、仲むつましい恋人同士に一点でも陰りがあってはいけない。最後まで、その瞬間まで二人は愛し合っていた、これが事実だ。

「僕の方が知りたいですよ。彼女が一番楽しみにしてた避暑なのに。どうして」

 警察も、周りの人も、みんな、アキヒロに同情してくれた。人間、発作的に何をするか、ときにはわからない事もある、気を落とすんじゃないと。

 東京からかけつけた両親と一緒に、アキヒロは再び涙する事もできた。既に彼は、自分の未来を守りに入っていた。

 

 彼はカメラを手に展望台を離れ、店に入った。若いウエイトレスはブーツ姿の彼を窓側の席へ慣れた足どりで案内する。バイク乗りがよく来るのだろう、彼の姿を奇異の目で見る事はなかった。静かにクラシックの響く店内には、若い父親が小学校に入ったくらいの娘と一緒にテーブルについていた。その親子は見晴らしの良い席で景色をほほえましく楽しんでいた。彼はその親子から二つばかり奥のテーブルに、案内された。静かな店内で彼の椅子を引く音がクラシックの響きを遮った。

 メニューを開いてはみたが、手書きの文字は彼の目には入っていなかった。

 ここでお美味しい珈琲でも飲んで、一息ついたら、このまま街道を北に上ろう。

 北に何があるのか。その先は思いつかなかった。地図で確認する必要はない、ただ、気持ち良く続くワインディングロードが、その周りの風景が、彼の気持ちの拠り所となるはずだ。心を塗り替えてくれそうな気がした。

ー涼子の事は忘れるんだ。事故なんだから。

 彼は自分にもう一度言って聞かせ、テーブルに置いたビデオカメラを見つめた。

 

「ねぇ、パパ。私にも撮らせて」

 ウエイトレスを待つ彼の耳に、奥のテーブルから子猫がじゃれるような声が聞こえてきた。そこでは窓越しに見える風景を父親がビデオカメラに納めていた。

ー今はビデオカメラなんて、みんな持ってるんだなぁ。

 それでも彼は自分のカメラがちょっと他人のとは違う事に優越感を覚え始めていた。事故を起こした罪悪感を優越感が包み始めた。

「まだ、少し、君には難しいかな。外でパパが記念撮影をしてあげるよ、ねっ」

 父親はそう言うと、カメラのスイッチを切り、かわいくふくらんだ娘を連れてレジに向かった。

 

 父親の言葉にちょっと機嫌を損ねた娘は、彼の横を通るとき、テーブルに置いてあるカメラを見逃さなかった。

「お兄ちゃん。パパ、私にカメラをさわらせてくれないの。お兄ちゃんのカメラ、貸して」

 少女は言うが早いか、すでに彼のカメラを手にとっていた。

ー涼子とのやり取りに似ている。彼女も僕のカメラを使いたがった。目元、口元、面影がある。

 彼は涼子を思い出し、あわてて、少女から自分のカメラを取り戻そうと手を伸ばした。それは浅間園の駐車場で彼が涼子に対してとった行動そのものだった。しかし少女と涼子が意識の上で重なり合い、うまくカメラをつかめなかった。彼のカメラは少女の手を離れ、二人の間にゆっくりと落ち、キャップがテーブルの下に転がっていった。彼は涼子を呼び戻したく、カメラを拾い上げる代わりに、彼は少女の手を強くつかんだ。

ー横を見るな。まっすぐ戻ってこい。

 救えなかった涼子をそこに感じていた。

 

「パパ、パパ」

 驚いた少女は声は店内に響いた。レジで会計を済ませていた父親は音楽を遮る声に振り返り、ゆっくりと、なぜか余裕さえ感じられる表情で、娘の元に戻ってきた。少女は父親の顔を見ると、強く捕まれた彼の手から空気のように簡単にすり抜け、父親のそばによった。それはまた、つかんでいたのは彼ではなく、少女だと錯覚するかのようだった。

「私、何もしてないの。それなのに、このお兄ちゃんが私の手をつかむの」

 少女はさらりと言ってのけた。父親はにこにこしながら、疑いもせず娘を見ている。何も心配はないよ。パパに任せなさい。父親は自信にあふれていた。娘の前だからの強がりではない。根拠のある自信だった。

「パパァ」

 甘える娘の頭をそっと撫でると、父親は肩に掛けてあったビデオカメラを彼に向けた。

「君さぁ、僕の最愛の娘に手をかけちゃだめじゃないか」

 既にカメラは彼を捕らえ、撮影は始まっていた。そのとき彼は全身に鳥肌が立つのを、息苦しくなるのを実感した。

ー嘘だろ。

 彼の耳にテープの動いている音が届く。小さな、小さな、普段だと気にも止めないような音が、洪水となり彼の鼓膜を振動させる。

「やめてくれ、涼子。ぼ、僕が悪かった。謝るから」

 彼の頭の中は真っ白となり、その白いスクリーンに、ビデオカメラを見つめておどける涼子、跳ね回る涼子、ちょっとふくれっ面の涼子がスローモーションで映し出された。ついに最後には、カメラをじっと見つめ、観光バスに向かって走り出す涼子がフェードアウトで消えていった。無表情、何が起こったのか、これから何が起こるのか、分からない、感情の消えた涼子の顔。

「リョウコねぇ、このお兄ちゃん嫌い。どうしてリョウコに意地悪するの」

 彼は涙がでてきた。

ーどうしてこうなったんだろう。どうしてこんなカメラが存在するんだろう。どうして涼子はここにいないんだろう。涼子がいったい僕に何をしたと言うんだ。僕は涼子に何をしたんだ。

「じゃぁ、そんないじわるなお兄さんなんていなくなってもらおうか、リョウコちゃん」

 親子の声は彼には響いていなかった。ただカメラを持った人物に向かい、力の限り首を横に振ろうとしていた。彼は唇が冷たくなるのを感じた。

ー立場が違う、こんな事で死にたくはない。カメラを使うのは僕だ。そうだ。どこだ、どこにあるんだ、僕のカメラは。

 テーブルの足元にレンズキャップが落ちている。彼の目は、彼と少女の真ん中に落ちているカメラに吸いつけられた。

ー助かる。

 彼ははすかさず、自分のカメラを拾い上げた。

ーこれで、五分だ。

 助かると確信した。それほど彼のカメラは手にフィットした。親指で電源を入れる、返しの動作で録画を始める。一瞬だ。レンズを父親に向ける彼の目に、笑顔で話しかける少女の父親が映った。彼の動きは父親の言葉で遮られた。

「君、自殺してください。すみませんねぇ。娘のリョウコをいじめる人は、父親として、許せないんですよ」

 

 アキヒロは拾い上げたビデオカメラの録画スイッチに指を掛けたまま、だらりと力なく、涼子を見つめた。少女は彼から見つめられていることに気づくと、スカートの裾を持ち、くるりと回転し、彼にお辞儀をした。アキヒロはその仕草を見ると、涼子に笑みを返した。「涼子、きみのそういう仕草、好きだったよ。ごめんね」

 アキヒロは小声でそう口にすると、ゆっくりと立ち上がり店を後にした。自分のバイクに見向きもせず、通り越し、展望台にある打ちっぱなしの打席へ向かった。そこでは、打席の眼下に広がる村々が大きな口を開けてアキヒロを呼んでいた。

 

 残されたバイクの脇では、娘と手をつないだ父親が彼に向けたビデオカメラを回しながら、娘に話しかけていた。

「最近のビデオカメラってすごいねぇ、リョウコちゃん」

「今度は私に撮らせてね、パパ。それに、電池が切れたなんて嘘は嫌だよ」

 意味を理解できない父親に、涼子はにっこりと微笑んだ。

 

 


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